

1965年愛知県生れ。ノンフィクション作家。主な著書に『17歳の殺人者』(ワニブックス)『学校的日常を生き抜け』 (教育資料出版会)『美しき少年の理由なき自殺』(メディアファクトリー)など。
2001-07-02 号
藤井 誠二(ノンフィクション作家)
私は高校2年であきらかにごく普通の高校生とは異なった道を歩きだしていた。文化祭で実行委員長を務めた私は、いくつかのメイン企画で愛知の管理教育をとりあげ、当時、マスコミで反管理教員キャンペーンをはっていた新聞記者の講演会などを催した。文化祭が終わったあとも、さきに述べた井上英明らと数人でグループをたちあげ、旺盛な活動を展開していった。
愛知の管理教育の実態をさぐるため、すでにそれの告発運動を展開していた市民グループに連絡をとり会いに行ったり、関係の書籍をむさぼり読むようになった。教科書はほとんど持っていかなくなり、授業中は本や資料を読んだ。授業が終わると、ターミナル駅に出かけていったり、とくに管理教育の牙城といわれる学校に遠征していって、生徒に蜂起を呼びかけるビラや、いかに子どもが学校の中で人権を踏みにじられているかを書きなぐったビラを巻いた。学校の校門付近でまいていると、たちまち当該校の教師たちに取り囲まれ、妨害された。かれらは「内政干渉だ」「あんたたちには関係ない」などと詰め寄り、時には警察を呼ばれた。その高校の教頭は後日、私たちの高校に乗り込んできて、「おたくの生徒さんたちがうちの学校を批判するビラをまいて迷惑だ」と文句を言いに来たこともあった。対応した教師は、「それはかれらの正当な表現の自由ですし、そんなことを注意しても言うことを聞くような生徒たちではありません」などと相手にしなかったようだ。私は母校の教師に今でも感謝している。
もうすぐ36歳になろうとする私が、20年前の私を振り返ると、ただ言えることは、何か我を忘れて熱中できるものをさがしていたということだ。それも高校生がやらないようなことを。勉強もだめ、部活もパっとしない、異性にはもちろん興味があったがそっち方面にいく自信がない。何もかもが中途半端な自分が嫌いだった。高校生はこうあるべきもの、こうあったほうがいいというような同調圧力から逃げ出し、自分をドラスィックに変えてしまえるような世界に没入したかった。そんな誰しもが抱くような動機でおそらく私は、「高校生市民活動家」なるものになったのだ。