

1965年愛知県生れ。ノンフィクション作家。主な著書に『17歳の殺人者』(ワニブックス)『学校的日常を生き抜け』 (教育資料出版会)『美しき少年の理由なき自殺』(メディアファクトリー)など。
2001-04-30 号
藤井 誠二(ノンフィクション作家)
私が父親を亡くしたのは1973年秋のことである。当時は母子家庭というのはまだ珍しく、クラスでは私1人だけであった。今考えると信じられない名称なのだが、私は「欠損家庭へ」と題したプリントをときたま教師から渡された。いくら小学生低学年とはいえ、「欠損家庭」という響きがイヤでイヤでしようがなかった。くやしいというより、「欠損」と呼ばれるのが屈辱だった。プリントを手に持っただけで涙がこぼれてきたのを覚えている。
これまた今はもうないと思うが、社会科の時間に「お父さんの仕事」というのがあった。父親の職業を作文に書いたり、発表したりして、話し合うというものだった。私はこれにもがまんがならず、よく「僕には(お父さんが)いないから書けない」と担任の机に作文用紙を叩きつけて教室を出て行ってしまったものだ。担任はただおろおろしていた。
私はその頃から、学校や教師というものは、「例外」は考えてくれないものなのだと思うようになった。1人ひとりは違うのが当たり前なのに、どうして同じことをやらせるのだろう。みんなが同じことを同じようにやると先生は喜ぶのだろう。「違う」人間は生きにくいのだ、と小学2年の私は確信すると、教師の言動がいちいち気にかかるようになった。
私が通っていた小学校は学区に市内最大の被差別部落を抱えていて、クラスの3分1ぐらいの子どもたちはそこに暮らしていた。当時、私は被差別部落の存在は知らなかったが、それが社会からいかなる「扱い」を受けているかは教師から「学ぶ」ことになる。