

1965年愛知県生れ。ノンフィクション作家。主な著書に『17歳の殺人者』(ワニブックス)『学校的日常を生き抜け』 (教育資料出版会)『美しき少年の理由なき自殺』(メディアファクトリー)など。
2004-01-26 号
藤井 誠二(ノンフィクション作家)
これまで私の怠慢や私事の事情等により、継続的に更新をおこなうことができず、誠にお恥ずかしいかぎりです。どうかお許しいただきたいと思います。同コラムがスタートしてから、長い間、ほんとうにありがとうございました。今回をマンモでも最後のコラムとさせていただきます。当コラムは若い世代に向けて書いてきたわけですが、最後に一言だけ聞いてください。
先日、あるシンポジウムがあって、いくつかの私立大学法学部の学生さんたち十人ほどと話し合う機会をもちました。世間では一流どころと言われる大学の学生さんたちです。みなさん二十歳前後です。
雑談のときに、月にどれぐらいの本を読むのかを私は質問しました。法学部の方々ですから法学や法律関係の本、あるいは法律をテーマにした小説やノンフィクションをどれぐらい読むのか、と。すると、月に一冊読むか読まないか、読むとしてもゼミの先生が書いた著作(つまり教科書や副読本ということです)を読む程度だというのです。私は少なからずショックを受けました。これでは本は売れんわけだ、というショックではなく、大学生とはいえ法学に携わっている人たちが、その程度の読書量でいいのか、と。法律関係ではやはり読書量が知識量と比例しますし、世の中の現実と法がどうかみあわさって動いているのかを知るためには、まず本から情報を得ることが近道のはずです。
また、ゼミの先生の著作しか読まないということは、その先生の思想の域を出ることが難しいということになります。担当教官の手のひらの上からでれない。そして、担当教官の業績や思想を批判的に見ることができなくなります。そうなると考え方が蛸壺化し、新鮮な思想や、知らなかった現実を受け止めて「自分が変わること」を恐れるようになるのです。
私はある書き手を気に入ったら、その人の著作をあますことなく読み、さらには著作の中で推奨したり、取り上げている本を片っ端から読むという方法を二十歳ぐらいからやってきました。かといって威張れるような読書量ではないのですが、そうすると、その人の「世界」がおぼろげながらみえてくるし、その書き手の思考方法までもわかってくる。そして、その人とは対極にある人の考え方や思想なども見えてくるようになるのです。
私は法律の専門的な勉強などこれっぽっちもしたことがありません。大学さえでていない。(除籍になってます)書くテーマのために法律的な知識が必要不可欠だから読んでいるにすぎません。だけど読み方は上記なようにやりますから、必然的に法律関係書も片っ端から読みます。そしてそれが現実とリンクしているか、いないか、どんな問題点があるのかを検証していくのです。
さらにもう一つだけ驚いたことは、かれらはゼミで決められた時しか裁判所に傍聴にでかけないのです。刑事であれ民事であれ裁判法廷のなかに、法律の矛盾も正義も凝縮されているのですから、時間があるかぎり傍聴席には座るべきです。私は傍聴席で、ガムを噛みながらふんぞりかえったり、にやにやしながらと隣の者と無駄話をして、裁判官や法廷の職員から退廷や注意を受けた、あきらかに「ゼミの一貫として来ている法学部の学生」を何度も観たことがあります。かれらは論外としても、もっともっと自主的に裁判を聞くべきでしょう。
やみくもに本を読めとは言いませんし、人によっては「乱読期」がもっとあとになってくることもある。だけど、人には「読まねばならぬ時」が必ずあるはずです。その「時」を自覚して、実行にうつすことができるかどうかは、その先の人生においてきっと重要な意味を持ってきます。自戒をこめてそう思うのです。
ありがとうございました。