

1967年茨城県生まれ。医学ライター。医療関連編集者を経て、フリーランスライターとして独立。循環器、癌全般、消化器、泌尿器、皮膚科、眼科などの医学記事を執筆。海外取材も多い。
2008-04-07 号
高野 雅典(医学ライター)
病院にやってくる患者数がどんどん増えるなか、医師たちはますます忙しい日々を過ごしているようである。そろそろ本当に医療機関側の限界がくるとも言われている。そのような状況下でも医師たちが努力している姿がある。
しばらくコラムを休んでしまったので、今回は、少し医学からは離れた話題から再スタートしたいと思う。
春から初夏にかけては国内外で多数の医学系の学会が開催される。医学研究は日々続いており、学会で発表される膨大な研究報告は、全てが最新の研究と言える。今まで誰も調べていないこと、分かっているようで分かっていなかったこと、調べ直してみたら今までの知識とは違う結果になったことなど。そのような貴重な研究成果が次々と発表されるのである。
ところで、医学系の学会で、数年前から変わった試みがされるようになった。それぞれの研究発表を日本語ではなく、英語にして発表するという形式に変わりつつあるのだ。

司会をつとめる者も英語で話し、研究を発表する者も英語を使い、資料やデータも全て英語である。発表内容を聞いて、その場で質問する人も英語で問いかける。参加者の中にはたまに外国の人もいるが、しかし実情は99%が日本人と言ってよいだろう。それなのに英語で情報の交換をするのである。
その光景は、さながらどこかの英会話教室のようである。
世界的に言って、医学研究は英語ベースになっていることは確かである。権威ある論文誌は英語で書かれているし、医療と保健に関する国際機関であるWHOも英語を中心としてステートメントを発表する。
それは理解しているが、僕には、日本人が四苦八苦しながら英語で研究発表する姿は、正直なところどこか滑稽に見えた。数年前に初めて、英語だけで研究発表するセッション(学会のなかで1〜2時間単位で、あるテーマについて発表や議論をする場)を見たときは、なぜこんな無理をするのか、日本語でやればいいじゃないかと思ったものだ。
真面目な理由からも日本語でやり取りをすべきだと、そのとき僕は思った。無理に慣れない言語でやり取りをしたら議論の速度が遅くなってしまったり、正確な情報が伝わらない心配もあるのではいだろうか。
しかし、英語のセッションは年々増えて、今やとある循環器系の学会では半分近くが英語のセッションである。このことは、それが主催者の単なるお仕着せではなく、数多くの参加者から評判が良いことも指し示しているだろう。学会の主役である医師や研究者からの評価が悪ければ、そういった企画はすぐに衰退してしまうはずだからだ。
そして今春のことだが、僕は色々な学会を歩き回ってみて、いつのまにか風景が変わってしまったことに気づいた。この数年間で、医師や研究者たちの努力が結実しつつあるようだった。ふと気づいてみると、周囲には英語が堪能な人たちが沢山いて、研究発表も質疑応答も実にスムーズになっているのだ。
たった数年で、この変貌はすごいと思った。数年前の英語のセッションはお世辞にも立派とは言えないものだった。英語の読み書きの能力は学生時代に養われていたとしても、英会話での情報のやり取りに慣れている医師や研究者は、海外で研究発表を頻繁にしている一部の人達だけだったし、考えてみれば、そもそも医師たちの日常はものすごく忙しいのである。
それこそ「意思」を感じる変わりぶりだと僕は思った。一人一人の努力はそれほど目立つものではなくても、数千人単位、数万人単位の人が努力をすると、風景すら変えてしまうほどの変化となって現れる。それは、迫力のある光景でもある。
これほど英語での情報のやり取りを重要視するのは、やはり大きな意味があるからなのだろうと、僕は考えた。
医学の世界では、様々な現象を研究する。そして、それらの情報交換は、やはり「言葉」がベースなのである。国内だけの議論では大きな発展は期待できないだろう。外国との差異、外国と共通の部分、その両者を意識しながら国内外で情報交換してゆくことが、結局は医学の発展に寄与する。
それは日本語での議論を否定するということではないようだ。医学の世界で共通語になりつつある英語とのインターフェイスがしっかりしていればこそ、日本語での議論も意味のあるものとなるだろう。そのことは、ひいては日常の診療の対象となる患者さんたちにとっても有益であるに違いない。世界の議論と歩調を合わせ、より多くの情報をやり取りすることが、国内の医学・医療の発展にとっても重要なことだからだ。