

1967年茨城県生まれ。医学ライター。医療関連編集者を経て、フリーランスライターとして独立。循環器、癌全般、消化器、泌尿器、皮膚科、眼科などの医学記事を執筆。海外取材も多い。
2006-08-07 号
高野 雅典(医学ライター)
生物にとって栄養の欠乏は死に直結する問題だ。それは人間にとっても同じことであって、人類は太古からずっと飢餓と闘い、栄養を確保するために狩猟をして、やがて農業を営み、近代では様々な産業を発展させてきたと言える。けれども、世界保健機関(WHO)は21世紀の初頭にとても重要なことを発表した。
WHOは世界における人間の死亡原因の統計を取り続けているが、2001年の報告で、ついに人類の死亡要因が「貧栄養による疾患」の数を超えて、「過栄養による疾患」の方が多くなったと発表したのだ。
これはとても大まかな疾患の分類だが、栄養失調症に加えて、マラリアや風邪のような感染症、乳幼児の死亡は主に栄養不足が関連していると捉え、一方、心臓病や脳卒中、糖尿病、癌などによる死亡は栄養過多が関連していると捉えて、両者の死亡数を比較したのだ。大まかな分類ではあるけれども、全世界の560万人の死亡要因を比較した結果、「過栄養による疾患」で亡くなった人の数が全体の半数を超えた。
これは歴史的な転換点だったかもしれない。つまり、人類にとっての脅威は、もはや飢餓や栄養不足ではなく、その逆の「栄養の取りすぎ」であることがはっきりした瞬間とも言えるからだ。
前回も述べたように、WHOは、栄養過多による代謝障害から生じる心臓病や脳卒中の増加に警告を発し、1999年に「メタボリックシンドローム」の診断基準を作成した。さらに、その時期すでに肥満大国となっていたアメリカでも同様な診断基準が作られ、2001年に勧告された。
アメリカのメタボリックシンドローム診断基準では、
1 血圧の上昇(130/85mmHg以上)
2 腹囲の増大(男性102cm以上,女性88cm以上)
3 中性脂肪の上昇(150mg/dL以上)
4 HDLコレステロールの低下(男性40mg/dL未満,女性50mg/dL未満)
5 空腹時血糖の上昇(110mg/dL以上)
という5つの項目のうち、3項目以上に該当するとメタボリックシンドロームであるとされた。
この当時は、高血圧や高血糖、脂質代謝の異常(中性脂肪の上昇とHDLコレステロールの低下)が、それぞれ、心臓病や脳卒中の危険性を高め、それらが重なり合うと危険性が非常に高まるという考え方が主流だった。つまり、1つ1つでも危険因子として働くが、それが連合するとより強い危険因子になるという「マルチプル・リスクファクター」という考え方だ。
しかし、その後、心臓病や脳卒中のおおもとは、そもそも栄養分の取りすぎや運動不足による「肥満」が大きな要因として働いているのではないか、という考え方が先進国を中心に強くなった。
たしかに、肥満があると、脂質の異常が伴っていることが多いし、血糖値も上昇していることが多い。さらに、高血圧にもなりやすい。また、「肥満が元凶である」という考え方が強まったのは、肥満の人に血圧・血糖・脂質の異常が多いという観察結果だけが理由ではない。
実は、体内において脂肪を蓄積する働きをする「脂肪細胞」に関する研究から、様々な新しい事実が分かってきたことが関係している。脂肪細胞は、ただ脂肪を蓄積するだけの細胞ではなく、体内のエネルギー状態の変化に応じて色々な信号を発する細胞であることが分かってきたのだ。例えば、栄養過多の状況下では、レプチンと呼ばれる物質を分泌し、これが血流にのって脳の視床下部にある満腹中枢を刺激して食欲を抑える働きをする。また、このレプチンや、レプチンと同様に脂肪細胞から分泌されるアディポネクチンと呼ばれる物質は、血液中の糖分(つまり血糖)の消費を高めるインスリン(膵臓から分泌されるホルモン)に対する感受性を高める働きをもっている。簡単に言えば、これらの物質は栄養過多の状態を抑えると同時に、すでに摂取してしまった栄養の消費を早める役割をしている。
しかし、これらの物質が盛んに作られるのは、脂肪細胞が小型のときに限られる。あまりに多くの脂肪を蓄積して大型化してしまった脂肪細胞は、レプチンやアディポネクチンの分泌が低下してしまう。それどころか、インスリンに対する感受性を低めたり、血管の病的状態である「動脈硬化」を促進したりする働きをもつレジスチンやTNFαと呼ばれる物質を分泌するようになる。大型化した脂肪細胞の塊は体にとって非常に危険な存在になるのだ。
高血圧・高血糖・脂質異常が重なることは心臓病・脳卒中の危険性を高めるが、それらの危険因子の親玉として「肥満」が注目されるようになった理由には、このような脂肪細胞に対する基礎研究の成果が含まれているのだ。
前回も述べたように、日本では昨年にメタボリックシンドロームの診断基準が作成された。アメリカに比べると約5年遅かったわけだが、その分、世界における最新の研究成果や日本独自の研究成果が反映された内容になっていると言える。
すなわち、日本のメタボリックシンドロームの診断基準では、なによりも「肥満」が重視されている。
腹囲の増大(男性85cm以上,女性90cm以上)があり、かつ
1 血圧の上昇(130/85mmHg以上)
2 中性脂肪の上昇(150mg/dL以上)
3 HDLコレステロールの低下(40mg/dL未満)
4 空腹時血糖の上昇(110mg/dL以上)
のいずれか2項目以上に該当する場合がメタボリックシンドローム。
このように「腹囲の増大」が最重要項目に位置づけられた。肥満の指標として、体重ではなく、腹囲(ウエスト径)が採用されたのには2つの大きな理由があるという。
1つは、全身に分布する「皮下脂肪」と、腸間膜付近に分布する「内臓脂肪」とを分けて考え、栄養分の取りすぎや運動不足といった栄養過多の病的状態を反映しやすいのは「内臓脂肪」であることを見極めたということだ。専門家に聞くと、「皮下脂肪」は長期的な栄養貯蔵庫として働き、一方、「内臓脂肪」は腸から吸収された栄養分を一時的・短期的に保存する栄養貯蔵庫として働くのだという。あまりに栄養過多の状態では、短期的な栄養貯蔵庫でさえ空になることがなく満杯になってしまう。そしてウエスト径がどんどん増大するというわけだ。
内臓脂肪の量を測定するのには、実はCTによる診断が必要だ。しかし、普段の健康診断でCTを使用することは設備やコストの問題で現実的ではない。そこで日本の研究者らは、多くのCT検査データを使って、まず、内臓脂肪量と心臓病や脳卒中との関係を検討して、危険な内臓脂肪量は、腹部の断面積にして約100平方cm以上であることを割りだした。

腹部CT(断面図)の例:正常な人。黒い部分が脂肪組織である。皮下脂肪はあるが、内臓脂肪はあまり多くない。

腹部CT(断面図)の例:腹部肥満のある人。正常な人に比べると内臓脂肪がたくさん蓄積しており、腹囲も増大している。
そして次に、この内臓脂肪量「100平方cm以上」に相当する腹囲を計算して、それは男性で85cm、女性で90cmであることを明らかにした。(※同じ内臓脂肪量でも女性の方が腹囲が大きくなるのは、男性よりも皮下脂肪が多いからである)
肥満の指標として腹囲が採用された2つめの理由がここにある。本来、内臓脂肪はCTという高額な検査を実施しなければ測定できないが、多くのデータを蓄積したことによって、実際に内臓脂肪量を測定せずとも腹囲をメジャー1本で測れば、危険な水準を判定できるようになったからなのである。
メタボリックシンドロームという死に至る危険性もある重大な病態が、メジャー1本で測定できてしまうというのは、ちょっと拍子抜けな感じもしなくないが、むしろ「メジャー1本」という結論に至るまでには、多くの臨床研究・基礎研究の積み重ねがあったことを知っておいて欲しいと思う。
日本内科学会では、成人に非常に多いメタボリックシンドロームの危険性を訴え、高脂肪・高食塩の食事を控え、適度な運動を心がけて、この危険な状態に陥らないよう呼びかけている。そして、一番わかりやすい目安として「腹囲」を挙げており、誰もが簡単に、その危険性を察知できるとしている。診断基準では「男性85cm以上,女性90cm以上」と具体的な数値が示されているが、もちろん、これは目安にすぎない。たとえ1cm少ない「84cm」であっても危険と判断して、生活習慣を改善しなければならないという。