

1967年茨城県生まれ。医学ライター。医療関連編集者を経て、フリーランスライターとして独立。循環器、癌全般、消化器、泌尿器、皮膚科、眼科などの医学記事を執筆。海外取材も多い。
2006-03-27 号
高野 雅典(医学ライター)
偉いお医者さんと会食をしているときのことだった。「高野さんは、もしかして○○型?」と血液型を聞かれた。たしかにその血液型だったので「そうです○○型です」と答えると、その先生は嬉しそうに「やっぱりそうか、そうだと思った。そういう感じがしますよ。ガハハハハ」と言ったのだ。このとき僕は、なんだか情けない気持ちを感じた。
大学の先生もなさっている、このお医者さんが本気で血液型と性格が関係していると考えているはずがない。むしろ日常の会話のつもりで血液型の話をしたのだと思う。でも、それが悲しかった。
科学的な論争の場面でなら、きっと慎重に話すのであろうが、しかし、一般の人が相手なら、血液型と性格の関係について、なんの断りもなく普通に話して構わないと思っているのだろうか。
しかし、血液型と性格が関係するかどうかというのは、一般の人にとってこそ重要な問題だ。少しでも医学や生物学的な知識をもつ立場の人は、日頃の言動にも慎重になるべきだと思うのだ。例え「血液型と性格が関係しているように見える」という現象はあったとしても、それについての医学的・生物学的な確かな根拠は今のところ無い。そういう状況にこそ忠実になるべきで、血液型と性格を結びつける風潮を助長するようなことは慎むべきではないか。
はっきりしたことが分からない以上、僕も血液型と性格を結びつけるようなことは避けようと考えている。だから、この何回かに渡って書いている血液型のコラムでも、自分や登場人物の血液型は書かないか、「○○型」と書くことにしている。どの血液型も、性格と結びつけて特徴付けしたくないからだ。
それにしても、「血液型と性格が関係しているように見える」のは一体なぜなのだろうか。今回は、その点を少し考察してみたいと思う。
理由はいろいろ考えられるが、例えば、親が作り出す家庭環境が子の性格に影響することがあげられる。血液型の遺伝と並行して、性格の遺伝(遺伝子とは無関係だが家庭環境を介して性格が伝わる・・・)があるかもしれない。そういうところに、あたかも血液型と性格がリンクしているように見える、一定の傾向があるに過ぎないのかもしれない。
もしそうだとすると、その「一定の傾向」というのは、とても規則性の低いもので、一般に言われているように「この血液型はこんな性格で、相性がいいのは○○型の人」とは決定できないものに違いない。というのも、家庭環境の作られ方は父母の影響のバランスが家庭によってバラバラであり、ABO式の遺伝のようにメンデルの法則に従ったりはしないからだ。
ほかにも心理学の分野で言われていることで、「あなたはこんな性格」と言われ続けることで、人は本当にそのような行動傾向をもつようになるという話がある。例えば、周囲の人から「あなたは、まじめで几帳面」と言われると、その人は、まじめで几帳面な行動をとる傾向が強くなるというのである。
これを血液型の話に置き換えてみると、幼いときから「この血液型はこんな性格」という情報に触れ続けることで、「自分の性格はこうなんだ」と考えるようになり、やがては本当に行動にまで影響が出てくる。そういう姿を見た他の人も「ああ、血液型と性格が合っているな」と感じるので、ますます血液型と性格は関係するという考え方が広まり、固定されてゆく。
もしそうだとすると、「○○型は○○な性格」という結びつけ自体が、人の性格を作っていることになるわけで、これは本末転倒なばかりか、とても危険なことと言える。本人にとって「良い性格」と思える性格が植え付けられるなら幸運かもしれないが、このコラムの最初に書いたように、嫌で嫌で堪らないと感じる性格が植え付けられた場合は、とても不幸だ。
血液型と性格を結びつける発想は、ある分野では重宝がられている。人の性格を素早く見抜くのは難しいことなので、血液型のように分かりやすい目印で人を効率良く分類しようというのである。雑誌の性格診断で友人や恋人を選ぶといったこと以外に、企業が従業員を採用したり職場に配置するときにも血液型が役立つと考えている人たちがいるらしい。しかし、そこまでいくと、科学的な根拠もなく人を選別することにつながりはしないかと非常に不安である。いや、例え科学的な根拠があったとしても、そういう情報に基づいて人を分類して運命を決定してしまって良いのか、という疑問が起きてくる。
これは遺伝情報と人権の問題に良く似ている。遺伝子解析をして、その人の能力や将来かかる病気や寿命を推定することが可能になった場合、そういう情報をもとにした差別が生じる可能性が心配されている。そして、それは遠い未来の話だと思われているが、実は、遺伝子解析もままならない過去の時代においても、家系だとか、民族といった情報に基づいて人を分類しようとする動きは存在してきた。これらは、科学的根拠が有るか無いかにかかわらず、事の本質は一緒だろう。
一見楽しげな話題を提供するように見える血液型性格診断も、やがては差別を生むものだろう。特定の血液型だけを取り上げて、おもしろおかしくステレオタイプを作ってしまっている書物・雑誌などが売られていることなどは、とても、おかしなことだと僕は感じている。