

1967年茨城県生まれ。医学ライター。医療関連編集者を経て、フリーランスライターとして独立。循環器、癌全般、消化器、泌尿器、皮膚科、眼科などの医学記事を執筆。海外取材も多い。
2006-02-06 号
高野 雅典(医学ライター)
ファミリーレストランの隣の席で、若い会社員たちが血液型の話をしていた。4人のうち1人が大声で力説している。気になって耳を傾けてみると、それは、自分の血液型がどんなに嫌かという話なのだ。「俺は自分の血液型が間違いであって欲しいと、どれほど思って生きてきたことか」と訴えている。
仕事帰りに皆で一杯飲んでファミリーレストランにやってきたらしい。そんな雰囲気なので、決して深刻な話ではなく、むしろ、他の3人の笑いを誘う感じの演説なのだが・・・。親戚の血液型の話、学生時代に学校の実験で何度も自分の血液型を確かめた話、妻との間に将来生まれてくる子供の血液型の話。大音量の演説は止まらない。「そして最後に、俺の子供の血液型が万が一・・・」
他の3人はといえば、笑いながら「そんなに気にする必要ないですよ」と、なだめ役を買っている。しかし、彼の自虐的な長話は、さすがにヘビーすぎはしないか?
しまいに彼は「そんな血液型の俺だから、もうこんな調子で仕方がないんだ」と開き直って、自分の態度や性格を正当化し始めた・・・。
僕はさすがに、おもしろくない気分になってしまった(そもそも他人の話に聞き耳を立てている自分こそが悪いのだけど)。ともかくも僕はレストランを出て、なぜ彼の話で自分が嫌な気分になってしまったのか、その理由を整理して考えてみた。彼自身が自分の血液型を嫌がるのは自由だが、しかし、それを言い過ぎると、同じ血液型の人まで巻き込んで卑下することになる。それに、「そんな血液型だから」と言って全てを血液型のせいにするのも、自己責任の放棄のようで周りの人は迷惑だ。理由はそんなところだろうか・・・。
しかし、もっと良く考えてみると、そもそも、血液型と性格・行動パターンとに関係があるという前提こそが、最も気持ち悪い。その前提に立って、俺はひどい、俺は人に嫌われやすい、俺は自分の血液型が嫌で嫌でたまらないと、連呼している人の姿を僕は見てしまったわけだ。一体、血液型で性格が決まる、そんなことを誰が言い出したのだろうか? そして、人は何故その話を信じてしまうのだろうか?
今回は、最初から結論を書いてしまおう。ABO式の血液型と性格・行動パターンに直接的な関係があるのか、無いのか。このことに関して医学的なしっかりした根拠はなにもない。大脳生理学の研究分野で血液型と性格が関連する可能性が指摘されているとか、集団を対象とした研究で性格に関連する傾向がみられたとか、そういった話はある。しかし、このように肯定派の人達が根拠を色々あげる一方で、否定派の人達も「血液型が性格に関係するように見えてしまう」その理由を、あれこれ提示している。どちらにも相手を論破するような決定打はなく、結局の所、信じる人は信じる、信じない人は信じないというように領土分けしていて、時々ブームが起きるたびに論争が持ち上がるというのが現状のようだ。
そもそもABO式の血液型が発見されたのは、1901年にオーストリアのラントシュタイナーという学者が血液・血清を混合する実験をおこなったことによる。日本で血液型と性格との関係が本格的に論じられたのは、それから30年程たった1930年頃だそうだ。古川竹二という心理学者が「血液型と気質」という文献を書いたそうで、その内容に対する学術的な議論が起きたという。また、第二次大戦中に日本陸軍が、この学説をヒントに兵隊を適材適所に配置する手段として研究したという話もあるが、実際には採用されなかったらしい。日本が高度経済成長期となった1970年代に、「血液型でわかる相性」という一般向けの書籍が発行され、これがきっかけとなって血液型性格診断が大きなブームになったという。それ以降現在に至るまで、血液型性格診断は一般に浸透し続けている。
しかし、血液型による性格診断が一般的なのは、日本や韓国をはじめとする東アジアの一部地域だけだそうだ。ABO式血液型で性格が分かるなどといったら、多くの外国の人はキョトンとしてしまうらしい。通常は、輸血や臓器移植、事件捜査などの場面以外では必要にならない情報なので、欧米では日常会話で個人の血液型が話題になることは全くと言っていいほど無いという。つまり「君の血液型は?」などと聞くのは、あまりに唐突かつ不自然なことであり、そこから打ち解けて話が弾む、なんてことはないのだ。
日本のようにA型・B型・AB型・O型という血液型が比較的均等に存在する国はめずらしいのだそうだ。日本では、A型が約4割、続いてO型が約3割、B型が約2割、AB型が約1割という比率だが、欧州ではA型とO型が9割を占め、南米ではO型だけで9割だそうだ。とくに日本で血液型による性格診断が支持される理由の1つが、そこにあるようだ。例えばO型ばかり多い国で、血液型による性格診断をはやらせようとしても、「僕もO型、君もO型、あの人もO型、ほとんどO型」という状態であり、おそらく関心はもたれないだろう。日本では、適度に4つの血液型が存在するからこそ、その差異に好奇心が持たれるのに違いない。
このように、血液型性格診断の真偽はともかくも、それを人格傾向と関係すると見なしたり、友人や恋人との付き合いの参考にしたりするような習慣は、日本をはじめ、わずかな東アジアの地域だけだということは知っておく必要があるだろう。ABO式血液型の医学的な意味、つまり輸血時における凝固反応などに関係するという認識は世界共通のものだが、それが性格や相性に関係するという考え方は地球全体から見れば局地的に信じられているにすぎない。次回は、ABO式血液型の医学的な本来の意味と、それが性格と関係しているかのように見えてしまう理由について考察してみよう。