

1967年茨城県生まれ。医学ライター。医療関連編集者を経て、フリーランスライターとして独立。循環器、癌全般、消化器、泌尿器、皮膚科、眼科などの医学記事を執筆。海外取材も多い。
2006-01-09 号
高野 雅典(医学ライター)
前回も述べたように、今回の日本の大規模臨床試験データの報告は「今までほとんどデータがなかったアジア人に関して、高脂血症治療の根拠を示した」と評価された。医学の世界では、「根拠に基づく治療が重要」と盛んに言われているが、高脂血症治療薬に関するアジア人のデータは乏しく、根拠と言えるものは白人を中心とする欧米の大規模臨床試験のデータばかりだった。例えば、欧米諸国に住むアジア系の患者さんが高脂血症の治療が必要だったとしても、なかには生真面目な医師がいて「アジア人に関してはデータが少ないから、治療に責任を持ちきれない」と言う、という話もあったくらいだ。
大規模臨床試験を実施するには、何千人もの患者さんたちのデータを継続的に収集できるような体制をつくり、それを何年間も維持しなければならい。それ相当な予算を支えるだけの経済的基盤も必要であるし、広い地域にまたがる多くの病院施設をつないで情報を収集したり管理したりできる社会的基盤も必要である。現在のアジア地域でそれが可能な国は、それほど多くないだろう。その意味でも、日本がしっかりとした大規模臨床試験のデータを報告したことの意義は大きい。
今回、米国心臓協会(AHA)学会で報告された日本の2つの大規模臨床試験、そのうちの1つ「MEGA試験」では、血中コレステロール値が高い患者さんを、プラバスタチンと呼ばれる代表的なコレステロール低下薬で5〜7年間にわたって治療した場合の効果が調べられた。前回も述べたように、日本の社会ではプラセボ(偽薬)を比較対照にする試験に対して抵抗感がある。そこで、プラセボのかわりに、脂肪分などの少ない食事を摂る食事療法のグループ(約3,900人)と、食事療法に加えてプラバスタチンを服用するグループ(約3,800人)とを比較するという方法が採用された。この2つのグループで、5年以上治療を継続した場合、血中のコレステロール値はどうなるのか、心筋梗塞や脳卒中の発生率に差が見られるのか、死亡率はどうか、といったことが調べられた。プラバスタチンは、総称して「スタチン」と呼ばれる高脂血症治療の中心的な薬剤の1種であるが、1970〜80年代にかけて日本の企業と研究者が開発し、1989年(平成元年)からすでに臨床で使われるようになっている。
もう1つの「JELIS試験」では、血中コレステロール値が高い患者さん(すでに心筋梗塞などを起こしたことがある重症な患者さんも含まれる)を対象として、スタチン(プラバスタチンあるいはシンバスタチン)に加えて、イコサペント酸エチルと呼ばれるEPAを高純度に精製した薬剤を服用することで、さらに治療効果があがるかどうかが調べられた。EPAは、イワシなどの青身魚に多く含まれている脂肪酸の一種だが、これを世界に先駆けて高純度に精製し医薬品として開発したのは、やはり日本の企業と研究者であり、1990年から臨床で使われている。JELIS試験では、スタチンのみで治療するグループ(約9,300人)と、スタチンに加えてEPA製剤を服用するグループ(約9,300人)との間で、最長5年間の治療成績が比較された。
MEGA試験が世界から注目されたのは、アジア系の患者さんを対象とした初の大規模臨床試験だったことだけでなく、欧米で使われているよりも少ない投与量でプラバスタチンが充分な治療効果を示した点だった。普段から日本の臨床では、欧米で承認されている投与量の約半分の量が使われているのだが、それでも、心筋梗塞などの冠動脈疾患の発生率は、これまで欧米の大規模臨床試験で示されているのと、ほぼ同程度に低下させられることがMEGA試験によって示された。血中コレステロールの低下は欧米の成績に比べて小幅だったが、それでも臨床上重要な出来事に対して充分な抑制効果があるというわけである。この点は「欧米の患者さんでも、比較的軽症の患者さんであれば、通常量よりも少量のスタチンで治療可能かもしれない」という意見を提示する結果となった。今まで欧米では日本の約2倍の量についてのみ臨床試験が行われていただけに、今までにない新しいデータとして重要視されている。いずれにしても、日本では、食事療法に比べてプラバスタチンを投与することで、血中コレステロール値がより低下し、5年間の治療期間中における心筋梗塞や脳卒中の発生率が低下し、死亡率も低下することが、はっきりとした。
一方、JELIS試験は、EPA製剤に関する世界初の大規模な無作為化試験であり、注目された。これまでEPA製剤やサプリメントを服用している患者さんでは心筋梗塞や脳梗塞が少ないことが観察的な追跡調査で示されていたが、EPA製剤にはコレステロール低下作用はなく、心筋梗塞や脳卒中の予防にはコレステロール低下が最重要とされていたため、患者グループを分けて比較する形での大規模臨床試験は実施されていなかったのである。血中コレステロールが高い患者さんの治療の中心は、あくまでもスタチンであるが、JELIS試験の結果から、スタチンに加えてEPA製剤を服用することで、心筋梗塞などの冠動脈疾患の発生率がより低下し、とくに、すでに心筋梗塞を起こしたことがある患者さんの再発予防には効果が高いことが証明された。この証明は、世界初のものなのである。
MEGA試験、JELIS試験ともに、国内で実行委員会が組織され、試験がスタートしたのは1990年代後半であり、主だったデータ解析が終了したのは昨年(2005年)のことである。5年近い治療期間を調べるのであるから、最初の患者さんが参加してから順に数千人が参加し、やがて全員が治療期間を終え、それらのデータを収集・解析するまでには、当然ながら10年近い年月が必要になる。大規模臨床試験は、一朝一夕には成り立たないのである。それだけに、大規模臨床試験によって得られたデータは貴重である。しかも、MEGA試験、JELIS試験という2つの臨床試験が、世界的に評価される重要な成果を上げたことは、試験に参加した多くの医師や患者さんにとって喜ばしい結果だったと言えるだろう。
実は、現在の日本の状況では、MEGA試験、JELIS試験のような大規模臨床試験を今後再び実施することは、なかなか難しいと言われている。そこには現時点での日本の経済状況や、グローバル化した海外の巨大製薬企業と日本の製薬企業との開発力の差などの問題もからむ。本来ならば、海外並みの大規模な臨床試験を実施して治療データを集めることが理想的だが、日本には、現在の経済状況や社会構造、国民性も含めて独自の事情がある。日本の医師や研究者らは、そういった事情も含めて知恵を絞り、今後も国内の臨床における治療を研究してゆくことが求められているのである。