

1967年茨城県生まれ。医学ライター。医療関連編集者を経て、フリーランスライターとして独立。循環器、癌全般、消化器、泌尿器、皮膚科、眼科などの医学記事を執筆。海外取材も多い。
2006-01-02 号
高野 雅典(医学ライター)
日本では大規模臨床試験が実施しにくい、その背景にあるのは「患者さんを研究対象にしてしまって良いのか」という問題だ。医学発展のためとはいえ、研究の材料にされるのは誰だって気持ちのよいものではない。それに、ある治療の効果を確かめることが研究目的だとすれば、当然、その治療には効果が無い場合だってある。その場合、患者さんは治療を受けても意味がないどころか、意味のない治療を続けているうちに病状が悪化する可能性も考えられる。こういう危険性に恐れを抱くことは人間として自然なことであるし、その気持ちを科学の名の下に全否定することなどは間違っているだろう。
大規模臨床試験を実施するには多くの患者さんと、その患者さんを数年間に渡って診察・治療しつづける多くの医師の協力が必要だが、日本では患者さんから理解が得られにくいばかりでなく、医師の間でも「患者さんの気持ちを考えると臨床試験参加を勧めるのは難しい」と感じている人が少なくないのである。そういう実状が、日本での大規模臨床試験実施を困難にしている。
今回AHAで報告された日本の大規模臨床試験2つは、どちらも高脂血症(血中のコレステロールや中性脂肪が異常高値となる病気)の治療薬に関する研究だった。1つはプラバスタチン、1つはEPA製剤と呼ばれる薬なのだが、いずれの薬も日本で開発され、実は、すでに10数年以上実際に病院で使用されている薬である。
例えばプラバスタチンは血中のコレステロールを強力に低下させる全く新しいタイプの薬として1980年代に臨床応用され、世界150カ国以上で販売されるに至っている、いわば日本が世界に誇る薬の1つである。しかし、この薬が心筋梗塞や脳卒中の発生を抑え、死亡件数をも減らすということを証明したのは、これまで全てイギリスやオーストラリアなど外国で実施された大規模臨床試験である。日本で開発された薬が、外国で試されているというのはおかしな話に聞こえるかも知れないが、逆に言うと、これらの国(イギリスやオーストラリア)では例え外国(日本)で開発された薬であっても、自国内で販売・使用する薬ならば迅速に大規模臨床試験で試そうという姿勢を持っているということになる。
一方の日本はどうかと言えば、薬の安全性や直接的な作用(この場合でいうとコレステロール低下作用)は、数十〜数百人程度を対象とした治験(薬を開発する上で必要な試験)で確認するが、その先にある心筋梗塞や脳卒中による死亡を抑える効果があるかどうかは、外国の臨床試験の結果を参考にしてきたのである。しかし、外国の臨床試験のデータというのは、日本の患者とは人種も異なり、生活習慣も異なる人々の間でのデータである。そういった違いが治療効果にどう影響するのかは、はっきりとは分からないのである。
1990年代頃だが、プラバスタチンは、週刊誌などで大した効果がないのに無駄に使われている薬と批判された時期がある。外国で発表されたデータをもとにした記事で、心筋梗塞や脳卒中の発生を抑えると言ってもたったこれだけだといった論調だったのだが、今思うと、そういう議論はむしろ、日本でのデータが得られたこれからなされるべきなのだ。本当に「たったこれだけ」と言って切り捨てしまってよいものなのか、数年以上の長期に飲み続けた場合の安全性はどうなのか、そもそも数年以上飲み続けることが実際に可能な薬なのか。それらの議論は、日本という欧米とは違う生活環境、国民性をもった人々が暮らす環境のなかで実際に調べてみて、初めて「推論」ではないものになるのではないか。
医師らは、患者の気持ちを考えれば臨床試験参加を勧めることは難しいと感じていても、一方では、本当に日本の環境の中で得られたデータをもとに治療の根拠を確かめる必要があると感じている。そうでなければ、目の前にいる患者さんにとって本当に意味のある治療なのかどうか、それが前もってはっきりしないまま治療を行うことになるからだ。
しかし、世界に通用するような立派な大規模臨床試験の条件は厳しい。まず、過去に病院で治療してきた患者さんのデータを集めるというような手法ではなく、前もって試験計画を立てて全くゼロの状態からデータを集積することが求められる(これを前向き試験という)。これは簡単にいうと「結果論」は認められないということだ。過去の事象に対して人間が調査をしても何らかの先入観や偏向が含まれてしまう可能性があるので、例え過去の治療データを提示しても、それは「前向き試験ではない」という註釈付きになり、科学的な根拠としては弱いのである。
次に、患者さんたちをランダム(無作為)にグループ分けして、それぞれ異なる治療を実施することが求められる。ランダムに分けるというのは、簡単に言えば、くじ引きでどのグループになるかを決めるということだ。しかも、くじ引きの結果一体どの治療法のグループに所属したのか、患者さんもその担当医も分からぬような工夫をこらすことが求められる。通常は、実際の治療薬と偽薬(プラセボと呼ばれる作用のない偽物の薬)とを比較するが、偽薬は治療薬と見た目そっくりに作られている。ランダムに患者さんをグループ分けするのは、例えば、片方のグループに高齢者や重症な人が多く含まれているとしたら、それだけで病気の発生や死亡数が増えることになり、ちゃんとした比較が出来ないからだ。それを防ぐためには、非人間的ではあるが、いわゆる「くじ引き」のような方法をつかって、それぞれのグループに、年齢や性別、重症度の異なるさまざまな人々が均一に含まれるようにしなければならない。
ところが、前述したように、日本ではこのような臨床試験の実施の仕方がなかなか受け入れられない実状がある。とくに、数年間にわたる長期の臨床試験で偽薬(プラセボ)が使われることには抵抗感がある。今回の高脂血症治療薬の例でいえば、すでにイギリスやオーストラリアなど外国の臨床試験でプラセボを上回る効果が確認されているので、その上で、さらにプラセボを使った臨床試験を実施することは倫理的にも許されないだろう。
そこで、今回の2つの大規模臨床試験ではプラセボを使わず、食事療法と治療薬による治療とを比較するという手法がとられた。みなさんもご存じのように、血中のコレステロール値が高くなるのは、食事による脂肪分の取りすぎが原因の1つと言われている。だとすれば、食事を改善すればコレステロール値は下がるのではないかと考えられる。一方のグループは食事療法のみを行い、もう一方のグループは食事療法に加えて薬も飲むという設定で、2つのグループを比較すれば、食事療法を上回る薬の効果があるのかないのか明らかになるというわけである。プラセボを使った世界の一流の大規模臨床試験には一歩及ばない感もあるが、日本の実状と世界各国の研究の到達度の双方を充分考慮した絶妙なアイデアと言えるだろう。
ともかく、日本の患者を対象としてプラバスタチンの効果を検討したMEGA study、EPA製剤の効果を検討したJELISという2つの大規模臨床試験は今年のAHAで結果が報告され、「今までほとんどデータがなかったアジア人種に関して、高脂血症治療の根拠を初めて示した」と高い評価を受けたのである。次回は、これらの大規模臨床試験の結果をちょっと覗いてみることにしよう。日本人のデータというだけではなく、実は、欧米の臨床試験とは違う新たな発見があったからこそ大きな評価を受けたのであり、その点についても紹介したい。