

1967年茨城県生まれ。医学ライター。医療関連編集者を経て、フリーランスライターとして独立。循環器、癌全般、消化器、泌尿器、皮膚科、眼科などの医学記事を執筆。海外取材も多い。
2005-04-25 号
高野 雅典(医学ライター)
洋服や家具や自動車などの生活財ならば、それが国内製品か外国製品かといったことを意識する機会は多いだろう。けれども、医者から処方された薬についてはどうだろうか。薬にも海外メーカーが作ったものと国内メーカーが作ったものがあるが、僕らは普段それを意識していない。
新薬の開発は、世界規模でみると、なんといっても欧州や米国のメーカーが優勢であり、これらの外国製品は日本国内でも販売されている。当の日本国内のメーカーはというと、30年ほど前から徐々に外国メーカーとの競争が熾烈になってきており、今ではかなり戦々恐々とした状況にある。
日本のメーカーが苦戦してしまう理由の1つに、企業の規模が格段に違うことがある。欧米のメーカーはかなり以前から企業合併を進めていて、すでに巨大な多国籍企業に成長している。最も大きな企業が1年間に使う医薬品開発費は、それだけで日本の最大手企業の1年間の売り上げ全てを合計した額の80%にも相当すると言われている。そんなに多額の開発費を使われては、日本のメーカーが新薬の開発競争に勝てるわけがない。前回も書いたように、新薬の特許は企業に大きな利益をもたらすが、逆に言うと、新薬の特許が取れない企業は、利益はおろか新たな開発費も目減りして、どんどん弱体化していってしまう可能性がある。
ただ、そんな日本のメーカーがこの30年間ずっと負け通しだったかというと、必ずしもそうではない。世界のメーカーと競合できるような画期的な新薬開発に成功した事例もあるのだ。今回は、その代表的な1事例として、高コレステロール血症治療薬「プラバスタチン」について書いてみたい。
この薬は日本国内では1989年に発売され、その後世界99カ国で販売されるに至った。この薬が画期的だったのは、体内のコレステロール合成の仕組みに対してダイレクトに作用するので、強力に血中コレステロールを低下させられることだった。また、社会的にも重要度が高い薬だったといえる。糖分や脂肪分の多い食事と運動不足によって、高コレステロール血症を患う人の数が先進国を中心に急激に増加していた時期であり、高コレステロール血症から心臓病・脳卒中などが起こるのをしっかり防止できる治療薬への期待が大きかったのである。
1980年代から90年代の時期には、日本のプラバスタチンに続いて、分子構造の一部が異なる様々な同系薬が、各国のメーカーによって開発・発売された。それらは総称してスタチンと呼ばれるようになり、これらスタチンは、現在、高コレステロール血症治療にはなくてはならない治療薬として世界中で使われている。
今では、高コレステロール血症治療によって、心臓病や脳卒中の発生率や、それらの要因による死亡率を低下させられることが数々の大規模臨床試験によって明らかされている。しかし、プラバスタチンの開発がおこなわれていた当時は、血中のコレステロール値を低下させて、果たして、それが病気の発生率や死亡率の低下に結びつくのか、まったく不明だった。それは、プラバスタチンほど強力に血中コレステロールを低下させられる薬が世の中に存在しなかったわけだから、当然とも言える。
当時は、まだ、フラミンガム研究と呼ばれる疫学研究などで、「コレステロール値が高い人は冠動脈疾患と呼ばれる心臓病を起こしやすい」という観察結果が知られていただけなのである。そうした人たちのコレステロール値を人為的に下げて、実際に心臓病や脳卒中を低減できるかは、80年代当時とてもチャレンジングな問題だった。
プラバスタチンを服用すると血中コレステロール値が低下することは、その開発段階の治験(薬の安全性や有効性を調べる臨床試験)で明らかにされた。しかし、治験では、安全性やコレステロール低下作用が確認されるだけであり、プラバスタチンを数年間服用して実際に心臓病・脳卒中の発生率や死亡率が低下するかどうかは、発売後に、何千人をも対象とした大規模臨床試験を実施しなければ明らかにならない。いくら安全にコレステロール値を下げられたとしても、病気の数を減らしたり、生命を守る効果がなければ治療薬としての意味は無いのである。
80年代後半から90年代にかけて、英国や豪州でプラバスタチンを使った大規模臨床試験が複数実施された。その結果、プラバスタチンによるコレステロール低下治療は、実際に、心臓病・脳卒中の発生率低下、死亡率低下などの効果があることが確認された。このような説得力のあるデータが提示されることで、世界の医師たちが、この薬を積極的に使っていこうと考えるようになるのだ。
一方、日本では臨床試験を実施しにくい土壌がある。臨床試験と聞くと、すぐに「人体実験だろう」と考える人たちがいる。しかし、すでに開発段階の治験で安全性や最適な投与量が明らかにされ、実際に発売されている薬に関して、全国の病院施設からデータを収集することは非常に重要である。海外の臨床試験で有効性が確認されたといっても、人種間の遺伝的な差、環境の差の問題がある。日本人で効果があるかどうかは、日本人のデータを収集しなければ分からない。幸い、プラバスタチンに関しては、国内のデータが収集されており、海外の大規模臨床試験の結果と同様に、心臓病や脳卒中に対する効果があることが確認されている。
日本で開発されたプラバスタチンは、その後に国内・海外のメーカーによって開発・発売されたいくつものスタチンの先駆的な薬である。そして、プラバスタチンをはじめとする各種スタチンの歴史は、血中コレステロール値の低下が心臓病・脳卒中の低減に結びつくのかを証明する世界的な研究の歴史と、表裏一体をなしていたとも言える。
1970年代から80年代にかけて日本で開発されたプラバスタチンは、2002年10月に日本国内での特許期間が終了した。また、米国内での特許期間も今年(2005年)10月で終了する。次回は、プラバスタチン開発の契機となった京都産の米に発生する青カビについての発見や、海外の企業との開発競争の様子について述べようと思う。