

1967年茨城県生まれ。医学ライター。医療関連編集者を経て、フリーランスライターとして独立。循環器、癌全般、消化器、泌尿器、皮膚科、眼科などの医学記事を執筆。海外取材も多い。
2005-04-11 号
高野 雅典(医学ライター)
薬屋さんに行くと、「全く同じ成分、同じ濃度で、こちらの方が安いですよ」と勧められることがある。実は、このように僕らが薬局で処方箋なしで購入できる薬(一般薬)に限らず、医師が処方する薬(処方薬)にも同成分で価格が安い薬がある。これらを「ジェネリック薬」と呼んでおり、最近、マスコミなどでは、そのメリットが取り上げられることが増えてきた。
薬の成分は、それを最初に開発した企業に特許が与えられていて、独占的に製造し販売することが認められている。しかし、この特許は一定期間が経過すると無効になり、そのあとは、他の企業が同じ成分を使った薬を製造・販売することが許される。このように、特許期限の切れた成分で作られる薬たちが、ジェネリック薬だ。
ジェネリック薬は、本家の薬と比べて、価格が安いというメリットがある。なぜ価格が安く出来るのかと言えば、膨大な開発コストを必要とせず素早く製造・販売することが出来るからといえる。薬の開発費用には、何年にも渡る研究・治験費用・人件費などが含まれているわけで、その分を価格に含めなくて済むという強みがあるのだ。
ジェネリック薬は、社会の側から歓迎されるようになってきている。高齢化社会で、これからますます医療費が増大していくと予測されるが、安くて効果のある薬が増えれば、医療費の増大にブレーキをかけることが出来る。ここ数年の間に、日本ではジェネリック薬をもっと積極的に活用すべきだという意見が高まってきている。患者さん自身も、薬の費用が安く済むことは大いに助かる。
薬の製法を特許で保護することは、企業が新しい薬を開発する動機につながると言えるだろう。新しい薬を開発した企業が、そこから得られる利益を独占できることは、その企業を活気づかせ成長させるために必要だ。けれども、その独占状態が永久に続くとしたら、社会全体の経済発展にとっては望ましいこととは言えない。簡単に言うと、「ラーメン」という料理を最初に開発した人が、その製造・販売権を永久に独占したとしたら、今の社会のようにあちこちで多くのラーメン屋さんが商売繁盛して、沢山のお客さんがそれを利用するという状態は期待できないだろう。そんな状態になるよりも、誰でもラーメンを作って販売出来るルールにした方が、世の中の経済は発展する。
薬に関しても、同じようなことが言える。一企業が有益な薬を独占するよりも、多くの企業が、それを自由に作り販売できた方が、経済に対して貢献することになるだろう。そして、今盛んに言われているように、安価な薬で多くの患者さんが救われることになる。
しかし、今の日本のジェネリック薬の状況に異論をとなえる人達もいる。ジェネリック薬は諸手をあげて賛成できるものではなく、むしろ、あまり気付かれていないリスクがあるというのだ。
本家の薬と、その後発医薬品であるジェネリック薬を詳しく比べてみると、かならずしも「同等品」とは呼べないような差が見つかるという。以前も紹介したが、薬というものは、成分だけで、その効果が決まるものではない(バックナンバー第40回を参照)。薬の成分がどのように溶け出して、体内に吸収されるか、血液中の濃度がどのくらいの時間維持されるかといったことが、薬の効果に大きく影響する。そうした性質は、薬の形「剤形」に大きく依存する。同じ成分が含まれているとしても、最終的な剤形が違う薬は、「同等品」とは呼べないような差が生じてくる可能性がある。
ジェネリック薬に関して、医師の間でも正確に理解されず、誤解されていることがある。ある薬の成分の特許期限が切れることでジェネリック薬が製造されるようになることは確かだが、このとき、剤形に関する特許が同時に委譲されるわけではない。特殊な顆粒やカプセルを作る技術については、特許保護されたままであり、他の企業は、完全に同じ薬を作ることができないのだ。
「同等品」として使ってみても、薬の溶解や吸収の過程で、成分の濃度が本家の薬ほど充分に高まらず、充分な効果が得られないようなことが起こりうる。
もちろん、ジェネリック薬の全てが効果が弱いというわけではない。本家の薬と同等な効果をもつ薬もあることだろう。しかし、それが本当に同等な効果をもつかどうかを充分にチェックする仕組みが、今の日本では確立できていない。現状では、ジェネリック薬を作る企業自身に委ねられている割合が大きいのだ。ジェネリック薬が厚生労働省の認可を受けるうえで企業が提出すべきデータは、薬の安定性に関するデータの一部、吸収・分布・代謝・排泄に関するデータの一部などのみで、本家の薬に課せられていた多くのデータから大部分が省略された形になっている。そもそも、ジェネリック薬は、臨床試験(治験)データを揃える必要がない。
こういったデータ収集義務の省略は、開発コストの削減に役立つものではあるが、やはり、実際にヒトに投与したときに本当に本家の薬と同じ効果が得られるのかとか、ジェネリック薬には本家の薬には含まれていなかった成分が含まれているが、それがどういった副作用を示すのか、といった不安は残るのだ。
医師や薬剤師は、薬に関する追加情報(ある薬を使用して、どのような副作用が起きたかなどの報告)を製薬企業から受け取っている。しかし、ジェネリック薬に関しては、そうした情報が少ない、あるいは情報の質が充分でないという声がある。また、ジェネリック薬を作る企業は、必ずしも巨大な企業ではないので、薬の需要が季節ごとに変動するのに対応しきれず、品薄状態になってしまうこともしばしばあるという。さらに、もし、ある薬の需要が伸びずに利益の採算が合わなかった場合に、その薬の製造を放棄してしまう企業が現れる懸念もあるという。
医療費の削減、患者負担の軽減と、ジェネリック薬の役割は大きい。しかし、ジェネリック薬を積極的に使ってきた歴史が20年近くある米国などの場合に比べると、日本はまだ、その充分な管理体制が出来ていない。「病院や薬局に行ったら患者の側から積極的にジェネリック薬を要求しよう」という声が最近高まっているけれど、やみくもにジェネリック薬に飛びつくことは危険かもしれない。大切なのは、ジェネリック薬を医療に導入するために、それを充分にチェックできる体制を作り、そのためのコストを、国家なり、国民なりが負担するということなのだ。