

1967年茨城県生まれ。医学ライター。医療関連編集者を経て、フリーランスライターとして独立。循環器、癌全般、消化器、泌尿器、皮膚科、眼科などの医学記事を執筆。海外取材も多い。
2005-02-28 号
高野 雅典(医学ライター)
今回は僕自身の喫煙歴について述べたいと思う。前回まで喫煙への依存とその害について述べてきたが、そもそも僕自身が喫煙者であり、禁煙の難しさを感じている。
僕がタバコを吸い始めたのは、ちょうど20歳のときだった。大学のサークルの飲み会で先輩から「タバコくらい吸えないで、どうする」と言われ、その場で「では、吸ってみます」と吸ったのが最初の1本だった。
普通、初めてタバコを吸った人は、ひどく咳き込んだり、気分が悪くなって青ざめたりといった反応を示す。有害物質を含む煙を吸うのだから当然の体の反応だろう。僕も、たしか咳をしたいような煙たいような感じがしたと思うが、それほど強烈なものではなかった。むしろ、僕は、頭がクラクラするような不思議な感覚をおもしろいと思ってしまった。
僕の場合は、それがタバコとの出会いであり、まるで一目惚れのようにタバコが気に入ってしまった。今思うと、それが大きなターニングポイントだった。その後の人生に大きな影響を及ぼしているターニングポイントだったことが今になって分かる。
それから、およそ10年、医学ライターという仕事を始めるまでの僕はタバコの害などという話には耳を傾けなかった。もちろん、周囲にはタバコの害を恐れて禁煙しようとする人もいたが、僕は、むしろ、タバコなしの人生など考えられないくらいになっていた。
医学ライターの仕事を始めると、タバコの害について、より科学的なデータや、体に与える危険性、そのメカニズムについて様々な資料などを見る機会が多くなった。それでも、僕は、どこかに「自分が大好きなものを奪わないで欲しい」という気持ちを持っており、禁煙を実行する気にはなれなかった。
ただ、癌に関する記事を書く仕事をしていると、やはり、喫煙と癌との関連がとても気になってくる。癌のように、辛い治療を受けてもかなりの確率で死に至る病気は、それを知れば知るほど恐怖心が強くなってくる。そして、その危険性を高めるタバコを吸い続けていることの恐ろしさについても、否定しきれない大きなものになってくる。
「タバコなしの人生など考えられない」というくらいになっていた僕でも、実は、何度か禁煙に挑戦したことがある。しかし、短くて数日、長くて3カ月しかもたない。真剣にタバコをやめようと奮闘している人達に顔向け出来ないほど、ふがいない自分なのだが・・・。
この数年だが、ニコチンへの依存は、僕にとってすごく恐ろしいものに思えてきた。短い期間ながらも、何度か禁煙に失敗した経験が、「この依存は根深い」と思わせるのだ。
禁煙を開始すると、僕は文章が全く書けなくなってしまう。以前禁煙したときのことだが、何時間もかけて、わずか十数行しか文章が書けなかったときは、全く信じられない思いだった。集中して頭をフル回転させているつもりでも、実際には、ものすごく思考能力が落ちているのだ。その文章は締め切りまでの時間がとても逼迫しており、とうとう、たまらずにタバコに手を伸ばしてしまった。
・・・そうしたら、驚くべきことが起きた。数時間かけて十数行しか書けなかったものが、タバコを1本吸ったあとは、たったの1時間半で何十行もある記事を一気に完成させることが出来てしまったのだ。そればかりではない。禁煙状態でうんうん唸りながら書いていた十数行分を読み返したら、まるでロボットが言葉をつないだように無味乾燥で、主旨が通りそうで通らない滅茶苦茶な文章しか書けていなかったのだ。
こうした現象を体験するから、「やっぱりタバコはやめられない。必要だ」と思ってしまうのである。
しかし、それは新たなる洗脳なのだ。物事に集中したり、仕事をてきぱきこなしたりは、本来はニコチンなしでも可能なはずなのに、ニコチンに依存していると、それがニコチンなしには不可能と思わせるくらい意識レベルが落ちてしまう。前回書いたように、ニコチンの離脱症状というのはそういう恐ろしいものなのだ。
アメリカの学者のなかには、社会に蔓延している悪癖を修正するには、世代交代がもっとも良いチャンスになると言っている人がいる。かつてアメリカでは、飲酒運転が普通に行われていた。もちろん法律違反だが、それを気にする人はほとんどいなかったのだそうだ。しかし、70年代以降は飲酒運転が減少に転じているという。飲酒運転をやめようという大々的なキャンペーンの威力もあったが、実際には、飲酒運転を「悪いことだ。絶対にするべきではない」と認識した若い世代が増えたことが、その減少に大きく貢献しているのだという。
このことはタバコについても言えるのではないかと思う。喫煙している僕自身が言うのはずるいかもしれないが、それでも僕は、若い世代に「タバコは吸い始めないほうが良いよ」と言いたい。吸い始めると、やめられない。やめようとすると、とても苦労する。そういう悪循環に入り込むことは。賢明ではない。社会には色々な意見をもつ人がいるが、喫煙によって健康被害が出ることは否定しがたい事実だし、タバコが生み出した有益な何か(例えば文学や芸術など)があると言う人もいるが、それはタバコなしでも実現可能なことばかりだと、僕自身は思っている。むしろ、タバコに自由を奪われていると僕は思う。タバコなしでは文章が書けないなんて・・・あまりにも悲しい。
最後に、僕がタバコをやめたいなと考える、もう1つの理由を書いておきたい。それは、先ほどの世代交代に関係しているのだが、僕らの世代が日常的にタバコを吸いつづけると、僕らの子供の世代は、家庭内で普通にタバコというものを目にすることになる。これは「タバコは危険なものだ」という感覚とは逆行する光景だ。家庭内ばかりではない。町中でも、大人たちがタバコを吸うのを目にした子供たちは、タバコの危険性を信じられなくなるだろう。
僕自身がタバコを吸い続けることは、自分の体を害するという事以外に、家庭内や町中でタバコを宣伝し、危険を隠蔽することに繋がるのかなと、最近考えているのである。
・・・それでも即座にタバコを止められない僕は、自分のなかに強いジレンマを抱えたまま生きている。