

1967年茨城県生まれ。医学ライター。医療関連編集者を経て、フリーランスライターとして独立。循環器、癌全般、消化器、泌尿器、皮膚科、眼科などの医学記事を執筆。海外取材も多い。
2005-01-17 号
高野 雅典(医学ライター)
世界中に広まったHeLa細胞は、1970年代中期になって、科学界に深刻な問題をもたらした。驚異的な増殖能力を持っていたため、研究者らの知らぬ間に、他の培養細胞のなかに混入し、置き換わってしまっている可能性が指摘されたのである。これは、色々な種類の細胞を使って研究されてきた数十年分のデータが、全て無駄になってしまうことを意味する。
研究に使用している細胞が一体どんな細胞かを確認するには、それぞれの細胞の特徴を調べる必要がある。しかし、HeLa細胞について分かっていることと言えば、それが米国の黒人女性の子宮頸癌ということぐらいだった。前回も述べたように、Henrietta Lacksさんから子宮頸癌組織が採取された経緯は、今の時代からは考えられないほど、個人の尊厳が軽視されている。組織が採取されてほどなく亡くなったHenriettaさん自身も、その家族たちも、HeLa細胞などという研究材料が世界中に広まっていることなど全く知らされないままだったのだ。つまり、組織サンプルの使用目的が患者側にはっきり説明されておらず、たしかな承諾もないままに患者側にとって思いもしない形でサンプルが使用されたのだ。
Henriettaさんの死後約24年たって偶然にHeLa細胞のことを知った家族らが、Johns Hopkins病院に連絡をとった時期、ちょうど科学者らは、HeLa細胞の問題を解決するため、Henriettaさんの家族を探しだし、血液などの組織提供を求めようと考えていた。遺伝的に似た部分のある家族の組織サンプルから、HeLa細胞の特徴を少しでも明らかにしようと考えていたのである。
家族らはこころよく血液採取に応じた。しかし、このとき、またしても研究者と家族の間には意識のずれがあったという。Henriettaさんの息子であるSonny Lacksさんは、のちに「Johns Hopkins病院の研究者らは、母親の細胞について遺伝的に検討するために検査をすると言った。けれど、説明はそれだけで、その後、研究者側からは何の連絡もなかった。私たち家族は、母親を殺した癌に関わる遺伝子が自分たちの体内にもあるのかどうか、いまだに知らされてない」と証言している。Henriettaさんの家族たちは、一方的に科学に貢献させられ、なんのメリットも提供されていない形だ。
現在では、患者の体から組織サンプルを取る場合、その使用目的をはっきりと説明し、それ以外の目的で使用してはならないという考え方が広く定着している。以前書いた「インフォームド・コンセント」がしっかり行われない形では、たとえ純粋な科学的研究のためであっても、患者の組織サンプルを勝手に使用することはできない。ただ、ヒトの培養細胞を扱う研究が広くおこなわれるようになったのは、まさにHeLa細胞が発端であり、この研究方法にまつわる倫理的な問題が真剣に議論されるようになったのは、HeLa細胞が登場して10年以上経過してからである。皮肉な話だが、科学に大きな貢献を果たしたHenriettaさんとその家族は、そうした時代の変遷のなかで満足な扱いを受けることが出来なかった。実は、HeLa細胞以降も、いくつもの癌細胞が継代培養されたが、これらの細胞の提供者たちに関しても、満足なインフォームド・コンセントは取り交わされていなかったという。
HeLa細胞に関しては、個人の尊厳あるいはプライバシーといった問題以外にも、未解決の問題がある。それは、HeLa細胞が研究素材として世界中で販売され、大きな経済的価値を持つようになったことである。つまり、人体の一部であった組織サンプルから経済的な商品が作られたことになる。こうした場合に、組織サンプルを提供した患者は何らかの対価が与えられるべきなのか、あるいは、それは人身の売買ということになり法的に規制されるべきなのか。Henriettaさんの家族は、こうした議論からは置き去りにされ、実際には何の金銭的対価も医学的補償も受けずに今日に至っているという。しかし、この問題は、HeLa細胞に限った話ではない。
現在、米国では、一定の規制の範囲内で、血液や精子・卵子を金銭的対価を得て提供することが可能なようである。しかし、心臓・腎臓・肝臓などの臓器を売買することは出来ない。では、細胞についてはどうか。細胞は売買することは出来ないが、無償で提供することは可能である。このように、人体の一部に金銭的対価を付けてやり取りすることに関しては、非常に混乱した状況が続いている。この問題に対する各国の取り組みには差があり、積極的に議論している国と、まだ何の検討もはじめていない国がある。しかし、現在は、HeLa細胞が登場した時代とは比較にならないほど、ヒト細胞の医学的・科学的利用が進んでいる。また、薬品の開発・製造に関しても、ヒト細胞はなくてはならないものになっている。ヒト細胞の利用は、小規模な研究分野に留まらず、産業と経済活動にも関係するようになった。Henriettaさんの細胞は、1950年代に安定的に継代培養され、本人も家族も知らないうちに世界中を旅して、宇宙空間にも持ち出された。今も研究用の素材として各国で販売され、無数の研究室に息づいている。そんな状況は、もしかしたらHenriettaさんだけに限らず、今後、僕ら一人一人の身の上にも起こりうることなのかも知れない。
ところで、1970年代中期に持ち上がったHeLa細胞混入の問題についてはどうなったのだろうか。Henriettaさんの家族らが提供した血液サンプルからは、決定的なHeLa細胞の特徴が明らかになったとは考えにくい。しかし、当時の研究者らは、この血液サンプルから遺伝的な特徴が様々に分かると証言している。それから、HeLa細胞混入問題に関連した論文を探してみると、非常に多くの努力がはらわれていたことが分かる。染色体の構成を比較したり、特定の遺伝子の差を調べたり、細胞表面にある蛋白質(抗原)から細胞の違いを明らかに使用としたりと言った具合である。現在では、1970年代当時に、HeLa細胞が混入したと疑われた培養細胞はほとんど全てがHeLa細胞に置き換わっていたとの見方が一般的になっている。HeLa細胞は、研究室内の器具、研究者のグローブや白衣などを介して、他の培養細胞のシャーレに進出していたようなのである。だから、現在でも、子宮頸癌以外の細胞として流通されていながら、実はそれは子宮頸癌由来のHeLa細胞である可能性が高いため、重要な研究には使用されないという培養細胞たちが存在する。
次回は、HeLa細胞から少し離れて、研究や産業などの分野においてヒト細胞がどのように利用されるようになったのか、その歴史的な変遷を眺めてみよう。