

1967年茨城県生まれ。医学ライター。医療関連編集者を経て、フリーランスライターとして独立。循環器、癌全般、消化器、泌尿器、皮膚科、眼科などの医学記事を執筆。海外取材も多い。
2005-01-10 号
高野 雅典(医学ライター)
HeLa(ヒーラ)細胞というのは、1951年に歴史上はじめて安定的に継代培養に成功したヒト細胞である。実は、このHeLa細胞、その年に癌で死亡した一人の米国人女性からとられた細胞である。体細胞は、本来、生体内の環境のなかで生きているものであり、人為的に取り出してガラス器具のなかで生存させることは難しい。まして、細胞が分裂・増殖し次の世代を作り出す「継代培養」となると、ヒト細胞ではHeLa細胞以前には確かな成功例はなかった。
HeLa細胞は、米国の有名なJohns Hopkins病院において、子宮頸癌の治療を受けたHenrietta Lacksさんという一人の黒人女性から採取された細胞である。Henriettaさん自身は1951年10月(子宮頸癌が発見されて数カ月後)に亡くなってしまったが、その直前に採取された子宮頸癌の組織から分離された細胞は、彼女の名前からHeLa細胞と名付けられ、50年経った現在でも培養されて、世界中で研究利用されている。
ヒト細胞の継代培養が当時いかに困難な技術であったかは、HeLa細胞を確立した研究者George Gey氏の研究の経歴を見れば分かる。彼は、癌研究のツールとして、ヒトの癌細胞の継代培養法を確立させようと実に30年近くの研究をしてきたが、HeLa細胞を見つけるまでは、それに成功することは出来なかったのである。
George Gey氏は当時のテレビ番組に出演し、「HeLa細胞の確立が癌研究に飛躍的な進歩をもたらし、やがて癌を撲滅させるだろう」と語っている。彼は、世界中の共同研究者らにHeLa細胞を提供しはじめ、またたくまに世界に広まった。HeLa細胞は、24時間に1回の割合で分裂を繰り返すという、驚異的な増殖能力をもっていた。そのため研究にも非常に利用しやすかった。ヒト細胞を使った研究をしたいという科学者らが、HeLa細胞を入手し、様々な研究を開始した。
Henriettaさんは、バージニア州のプランテーション農家の出身で、5人の子供と夫と共に暮らすごく普通の女性だった。Henriettaさんの墓はバージニアの実家の近くにあり、貧弱な墓石には文字は何も刻まれていないという。Henriettaさん自身は、夢にも自分の細胞が50年以上にもわたって世界中で生き続けるとは思っていなかったはずである。
HeLa細胞は、それが確立された直後から人類に貢献した。ガラス容器のなかのHeLa細胞は、小児麻痺の原因となるポリオウイルスを感染・増殖させることが可能だった。この性質を利用することで、当時はじめてポリオウイルスを検出する技術が確立された。また、その研究から、発病性のあるポリオウイルスと、発病性の少ない無毒なポリオウイルスのタイプがあることも分かった。これらの知見が応用され、1960年代には、サル組織を用いてポリオワクチンを産生する技術が誕生した。ポリオという人類にとっての大きな脅威との戦いに、HeLa細胞は貢献したのである。
HeLa細胞の人類への貢献はそれだけにとどまらない。現在、細胞生物学・分子生物学・遺伝子研究などに従事する研究者でHeLa細胞を知らない、あるいは扱ったことがない者は、ほとんどいない。そのくらいに、幅広く使用されているのである。癌細胞の発生や増殖の仕組み、細菌・ウイルスとヒト細胞の関係、遺伝子異常と病気との関係、薬剤や放射線治療の効果など、ありとあらゆる研究分野に貢献している。1980年代以降に盛んに打ち上げられた米国のスペースシャトルの船内実験でもHeLa細胞が使われた。Henriettaさんの細胞は、地球上の様々な国にとどまらず、宇宙空間にも旅をしたことになる。
ただ、HeLa細胞の確立の陰には、人権に関する倫理問題があるとも言われる。Henriettaさんの夫であるDavid Lacksさんは当時を振り返り、「妻の子宮から研究目的でサンプルを採取することには、しぶしぶ同意した。しかし、それは自分の子供や孫が癌にかかったとき医者が何とかしてくれる手がかりになると思ったからで、まさか、このようなかたちで細胞が世界中の研究者にわたるとは思っていなかった」といった内容の証言をしている。実際、Davidさんや、その子供たちは、HeLa細胞というものが世界中で研究に利用されていることは、Henriettaさんの死後20年以上ずっと知らずにいたのである。それは、彼らの家族の細胞であるというのに・・・。
DavidさんがHeLa細胞のことを知ったのは、1975年のことである。息子の妻だったBarbara Lacksさんが、友人の家族らとともに食事会をしたときに、そのなかに研究職についている人がいて、「僕はLacksという名字をよく知っている。それは研究によく使われるHeLa細胞の提供者であるHenrietta Lacksという黒人女性の名前なんだ」と話したのがきっかけだという。「私の主人のお母さんの名前だ」と驚いたBarbaraさんが、Lacks一家にその事実を伝えた。
Lacks一家の人々が事実を確かめようと、Johns Hopkins病院に連絡を取ろうとした、その時期、実は、科学の世界でもHeLa細胞に関して大問題が起きていた。HeLa細胞を確立したGeorge Gey氏には気がかりなことがあった。それは、HeLa細胞の登場以前、ヒト細胞の継代培養がほとんどうまくいかず、自分も30年間の研究を費やした。しかし、HeLa細胞が登場したあとは、なぜか世界中の研究者が患者の癌細胞を採取し、比較的簡単に継代培養に成功していた。気がかりなのは、体のある部位の細胞を培養すると、最初の数週間から数カ月はなかなか増殖がうまくいかない。しかし、それ以降、突如として元気に増殖しはじめるのである。その旺盛な増殖の様子は、まるでHeLa細胞にそっくりなのであった。1974年、Walter Nelson-Reesという研究者が「世界中の様々な種類のヒト細胞株にHeLa細胞が混入している可能性がある」と主張し始めた。これは、科学者にとっては、前代未聞の深刻な問題となった。もし、Nelson-Rees氏の主張が正しかったとしたら・・・、これまで乳癌由来の細胞株、前立腺癌由来の細胞株、胎盤由来の細胞株などに基づいて研究してきた膨大なデータは、全て、子宮頸癌由来のHeLa細胞株のデータということになってしまう。せっかく癌の種類別に積み上げてきた世界中の知見が全て意味のないものになってしまうのだ。
1950年代、HeLa細胞という強力な増殖能力をもった培養細胞の登場によって、人類の叡智は飛躍的に向上した。しかし、そのあまりにも驚異的な増殖能力のために、今度は、世界中の培養細胞にHeLa細胞が混入し、置き換わってしまっているかもしれないという懸念が1970年代中期に巻き起こったのである。
(来週につづく)