

1967年茨城県生まれ。医学ライター。医療関連編集者を経て、フリーランスライターとして独立。循環器、癌全般、消化器、泌尿器、皮膚科、眼科などの医学記事を執筆。海外取材も多い。
2005-01-03 号
高野 雅典(医学ライター)
もしHIVに感染したとしたら、その後一体どうなるのだろうか。エイズは死に至る非常に恐ろしい病気だという認識は誰にでもあると思うが、具体的にどんな危険があるのか、どんな治療法があるのか、治療によって治癒できる可能性はあるのかといった現状をしっかりと知っている人は案外少ないようだ。
若い人が、感染の事実を知ったとたんに、それまで受診していた病院との連絡を絶ち、自暴自棄になってどこかへ行ってしまったというケースがあると聞いた。医療の側からすると、これは非常に残念なことだ。なぜなら、エイズに対しては現在非常に強力な治療法がある。さらに今後も、治療成績を向上させる新しい治療法が登場してくる。現在開発中の様々な治療法があるのだ。ということは、現在の治療法で長い期間に渡って生命を維持してゆけば、次々に登場してくる新しい治療法で、さらに良い結果を得ることも可能になるかもしれない。
HIV感染やエイズに対する治療は、現在、慢性疾患としての長期管理が重要と言われている。どういうことかと言うと、HIVに感染した時期や、その後エイズが発症した時期に、急激に生死の決着が付いてしまうわけでなく、適切な治療によって、血液中のHIVの量が増えないよう、あるいは免疫細胞(Tリンパ球)の数が減らないようにして、長期間にわたって健康状態を維持することが可能になったことを意味している。これをウイルスとの闘いに例えるなら、ウイルスが体内で暴れ出した時期に「勝つか負けるか」の決死の闘いをせず、長期戦に持ち込んで、ウイルスが暴れないよう監視しつづける作戦が可能になったということだ。HIVが登場した1980年代に比べると治療法は飛躍的に進歩した。
HIVの増殖を抑える治療法について、もう少し詳しく見てみよう。現在、HIV抑制のために使われる薬(抗HIV薬)は10数種類あるが、その働き方を大きく分けると、HIVが自己のRNAからDNAを合成する逆転写酵素を阻害する薬と、新しいHIVの誕生に必要なプロテアーゼと呼ばれる酵素を阻害する薬とがある。

現在の抗HIV薬のメカニズム:HIVがヒトの細胞(主にTリンパ球)に侵入・増殖するプロセスを2か所で阻害する。
かつては、これらの薬を1種類か2種類使用して治療を行っていたが、その場合、HIVの増殖を抑える効果が低かったり、薬に対する抵抗力をもったウイルス(薬剤耐性ウイルス)が早い段階で出現してしまう可能性があることや、効果を得るために少ない種類の薬を大量に投与すると副作用が大きくなってしまい患者さんが治療に耐えられなくなってしまうことなどが分かってきたため、現在では、3種類以上の薬を組み合わせる併用療法が主流になっている。この併用療法は"HAART"と呼ばれ、エイズ発症後の3年生存率を80〜90%あるいはそれ以上に維持できることが報告されている。
ただ、この治療にも問題点はある。まず第一に、薬を飲み忘れたり、途中で止めたりせずに、しっかりと定められた通りに服薬しつづける必要がある。そうしないと、HIVが増加して症状が出てくる可能性が高くなり、それが命に関わる結果に結びついてゆく。一体、いつまで飲み続ければよいのか、ということに関しての答えはない。いくら飲み続けても、おそらくHIVが体内から消失することはないだろうと言われている。

HAARTに使われる様々な薬剤の例。ただし、どの組み合わせでも、毎日、何錠もの薬を飲み続けなければならない。抗HIV治療には、この他にも様々な組み合わせがある。
1日に何錠もの薬を飲み続けることは、想像以上に大変なことだ。治療の効果があがっている場合ほど、患者さんが自覚する症状はほとんどない。人間というものは、さしせまった痛みや苦しみがないと、なぜこんなに沢山の薬を飲み続けなければならないのかと疑問を感じるものである。いくら頭で分かっていても、毎日毎日、何年間も継続するということは容易ではない。また、めまいや頭痛、吐き気、倦怠感、不眠、皮疹など、治療に伴う副作用が起きることが少なくない。エイズによる症状がないだけに、薬に伴う副作用の苦痛を受け止めきれなくなり、薬を止めてしまいたくなるのが人というものである。こういった苦痛に耐え続けることの大変さは、やはり健康な人には想像しきれない。また、患者さん自身が自覚しない副作用も多い。薬の副作用によって、血液のコレステロール値や血糖値が上昇して、心臓病・糖尿病・脳卒中などの危険性が高まる。また骨にも悪影響があり、骨粗鬆症になりやすい。肝臓の機能も低下させる原因にもなる。
第二の問題点は、抗HIV薬が徐々に効かなくなってくる現象が起こることだ。その主な理由は、先ほども述べたように、薬に対する抵抗力をもったウイルス(薬剤耐性ウイルス)が出現してくることだ。もし、現在服用してる薬が効かなくなったら、次にまた別の薬を服薬しなければならない。そこで、新しい副作用も起きてくる可能性があり、やはり患者さんの肉体的な負担というのは大きくなる。しかし、HIVの増殖を抑えなければ、結果はますます悪くなるばかりなので、やはり新しい薬が必要になる。問題なのは、HIVの増殖を抑えきれる薬がもう何も残されていない、選択肢が何もない、という状態になることだ。
そこで、現在は、HIVに感染したことが分かっても、統計上分かっている生存率が低下しない、ぎりぎりのHIV量、Tリンパ球量のところまで薬による治療開始を待って、それから3剤以上の薬を使って有効な治療を開始するという方法がとられている。こうすることによって、なるべく将来に渡って、治療の選択肢を確保して、副作用によって苦しむ期間を少なくしようという作戦がとられているのだ。
最後に、エイズ治療にかかる費用について述べたい。HIVに感染したら、あるいは、エイズが発症したら、治療費は一体どのくらいかかるのだろうか。僕の取材能力では、その正確な数字はまだはっきり分かっていない。抗HIV薬の費用に加えて、副作用を抑えるための様々な薬のための費用も必要になる。だから、一体、どのくらいの治療費が必要になるかは患者さんごとにまちまちだ。しかし、少なくとも、毎月数十万円の費用が必要なことは間違いないようだ。現在、日本では、これらの治療費は最終的に公的な補償が受けられるようになっているという。しかし、一時的であるにせよ、治療費を患者さん自身が負担しなければならないことに変わりはない。また、自分がHIV感染者であることを公的に証明する手続きをしなければ補償は受けられない。すなわち、結局は家族や職場に患者であることを知られてしまう結果を覚悟しなければ、十分な治療が受けられないのである。