

1967年茨城県生まれ。医学ライター。医療関連編集者を経て、フリーランスライターとして独立。循環器、癌全般、消化器、泌尿器、皮膚科、眼科などの医学記事を執筆。海外取材も多い。
2004-11-22 号
高野 雅典(医学ライター)
先週は、春の米国心臓病学会(ACC)に続いて、米国心臓協会(AHA)の学会を取材するためルイジアナ州ニューオリンズに行ってきた。アメリカの学会が何万人もの参加者を集めることは、以前ACCについて書いたときにも紹介したが、今回のAHAも規模ではACCに勝るとも劣らない学会だ。
ただ、今回は、なんとなく人の数が少ないような、連年と比べると活気が今一つのような印象があった。春のACCと開催地が同じだったので、なんとなく魅力がないから人が集まらないのではと言う人もいたが、僕は、何か、戦争の影響もあるのではないかという気がした。これまでアメリカの医学学会というのは、アメリカ国内ばかりでなく、ヨーロッパやアジアからも多くの医師・学者が集まるという印象があった。けれども、最近のアメリカの戦争への傾倒は、かなり印象が良くない。ある意味、精神的な面でアメリカ離れが進んできているのかもしれない。そういったことが、とくにヨーロッパの学者の間にあるのかも知れないなと、僕は考えた。


僕が最初にAHAに参加したのは、もう8年前のことだ。それで今回が8回目になるのだが、このたった8年の間でも、高血圧や心臓病の治療は随分と変わった。8年前は、高コレステロール血症に非常に有効な薬が登場して間もない時期であり、血液中のコレステロール値を下げることで心臓病が予防されると盛んに言われた。今でも、それは間違いのないことなのだが、最近ではコレステロール値だけではなく、血圧や血糖を正しくすること、肥満を治すこと、それらを総合的に管理しなくてはいけない、ということが強く言われるようになってきている。心臓病も、脳卒中も、あるいは腎臓病の一部も、すべて血管の障害だということがクローズアップされるようになった。血管の障害に、コレステロールなどの脂肪の増加、血圧の増加、血糖やインスリンの増加、肥満、喫煙などが関連することが、詳細な研究から証明されてきているからだ。
この数年の間に、血管の障害というのは具体的になんなのか、ということも基礎研究から明らかになってきた。一般の人からすると意外なことかも知れないが、血管障害の第一歩は「炎症」であることが証明された。炎症というと、怪我をしたり虫にさされたときの赤みや腫れ、熱などを思い浮かべると思うが、血管の場合には、コレステロールや中性脂肪、血圧が高いことによる物理的ストレス、血糖やインスリンの異常な増加などによって、炎症が起きやすい状態になる。実際、血管が炎症を起こしている部分は、周囲に比べて温度が1〜2度高くなることも、血管内の小型温度センサーを使った実験で証明されている。それから、炎症を引き起こす主役である白血球が血管の壁に侵入する様子なども明らかにされている。
そればかりではない。80年代、90年代に開始された何千人もの患者さんを対象とした大規模臨床試験も、この数年間に色々な成果を上げている。大規模臨床試験というのは、ある意味、惑星探査計画に似ている。例えば、ある高血圧の薬が本当に血圧を低下させるのか、それによって心臓病予防に効果的なのか、ということを調べるには、最低でも数年間の期間を要する。試験の計画を作ってから、参加する患者さんを集め、それから数年間の治療期間を設ける。試験が終了したあとも、データの解析に数カ月から数年間を必要とする。そういったプロセスが終了するまでは、その高血圧の薬が、実社会で心臓病を予防するのに役立つかどうかは証明されないのだ。惑星探査計画のように、打ち上げから何年もたって初めて成果が出てくるのである。もちろん、高血圧の薬を飲み始めて1カ月後ぐらいで、血圧が下がることは簡単に証明できる。しかし、心臓病が起きるか起きないかは、数年あるいは数十年後まで調べないと分からない。実に気の長い話だが、80年代・90年代に開始された試験が今になって成果を上げる、と言う意味が分かってもらえるだろう。
僕がAHAに参加したのは8回目だが、AHA自体はすでに77回目を数える。これが、80回、90回を迎えるころには、医学に関する常識ももっと大きく変化するだろうと思う。これから始まる大規模臨床試験も数多く存在するし、新薬も続々と登場してくる。それから、コンピュータや画像技術の進歩も、研究を加速させているのだ。僕自身は、8年の間に、心臓病治療の一般常識が少しずつ変化しているのを感じている。なかなか一般の人には理解されにくいが、医学の世界は5年前が一昔前というくらいの勢いで変化し続けているのだ。世界情勢が最近とても不隠な感じだが、これまでアメリカ・ヨーロッパを中心として飛躍的に発展してきた臨床研究の流れがとどこおることがなければ良いなと、強く思う。