

1967年茨城県生まれ。医学ライター。医療関連編集者を経て、フリーランスライターとして独立。循環器、癌全般、消化器、泌尿器、皮膚科、眼科などの医学記事を執筆。海外取材も多い。
2004-11-08 号
高野 雅典(医学ライター)
皆さんは、プラセボ効果(あるいはプラシーボ効果)という言葉を聞いたことがあるだろうか。プラセボとは日本語で偽薬(ぎやく)のことだ。つまり、効果のないニセモノの薬のことである。
ニセモノというと、あまり良いイメージを抱かないと思うが、プラセボは薬の臨床研究では非常に重要なツールになる。
人間というのは不思議なもので、「これは薬ですよ」と言われて、それを信じて服薬すると、例え砂糖のようなものでも体調が良くなったりする。・・・ということは、本物の薬の効果を臨床試験で調べる場合にも、その薬がもつ「真の効果」に加えて、患者さんが「薬だ。ありがたい」と信じて現れる効果がプラスされていることになる。

図1:実薬とプラセボの効果を比べた模式図。実薬の効果から、プラセボ効果を差し引いた部分が治療薬としての「真の効果」。
このように「薬だ。ありがたい」と信じて現れる効果をプラセボ効果と呼ぶ。
このプラセボ効果がどのくらいのものなのか、あるいは、薬の「真の効果」はどのくらいなのか。それを調べるためには、患者さんを2つのグループに分けて、1つのグループにはプラセボを服用してもらい、もう1つのグループには実薬(本物の薬)を服薬してもらう。そして、最終的に2つのグループの効果を比較するという方法をとる。このとき、プラセボのグループの患者さんが「私はニセモノの薬を飲んでいる」という自覚してしまうと、プラセボ効果は現れない。そこで、患者さんには申し訳ないが、一体どちらのグループがプラセボなのか、実薬なのかは、隠された形で臨床試験を実施する。こういう臨床試験をブラインド試験と呼ぶ。
ブラインド試験は、薬の真の効果を調べるためには重要な研究方法とされている。ただ、日本ではプラセボを使ったブラインド試験は、まだ、なかなか実施しにくい。病気にかかっている患者さんにニセモノの薬を飲ませることが人道的に問題があるとされるからだ。しかし、もっと厳密に試験を行うためには、薬を処方する医師や効果を判定する研究者さえも、実薬なのかプラセボなのかが判らないような方法をとるべきとされている。薬がニセモノか本物かを医師のほうが知っていると、患者さんがそれを感じ取る可能性があり、また、効果を判定する研究者も薬の真偽に合わせた効果判定をしてしまう可能性があるからだ。これらの臨床試験では、完全に試験が終わった段階で、一体どちらが本物の薬だったのかが分かるような方法がとられる。
ここまで厳密な研究方法をとらねばならない理由は、やはりプラセボ効果が意外に大きくて無視できないからだ。子供の頃お腹が痛いときにお母さんに撫でてもらうと不思議と治ってしまったり、コップの上に箸を乗せて水を飲むと「しゃっくり」が止まったりすることを皆さんは知っているだろう。このように、「思い込み」が効果的な現象は実際に数多くある。
「思い込み」であっても効果があるなら、それで良いという考え方もある。例えば、精神的なストレスなどが原因で悪化するような皮膚疾患の治療で、軟膏薬の基剤(それ自体には薬効はない)であるワセリンを塗るだけで案外良くなる患者さんがいる、という話を皮膚科の先生から聞いたことがある。このように、医師はプラセボ効果の存在も知りながら、症状の改善を見守る場合もあるようだ。
だが、医学の世界では、いつでもプラセボ効果に頼ることは出来ない。なぜなら、「思い込み」ではどうにもならない症状・病気があるし、そもそも、思い込みやすい患者さんもいれば、疑り深い患者さんもいる。個人差をなるべく少なくし、多くの人が同じように治療効果を得られるようにすることが医学の目標の1つである。もともと、薬の効果には個人差があるが、プラセボ効果はもっと個人差が大きいだろう。そして、その時々の状況にも大きく影響される。
そればかりではなく、効果の持続性という問題もある。薬を飲み始めたときは「思い込みも」大きく、その分プラセボ効果にも期待がもてる。しかし、人間は徐々に「慣れ」を生じるものだ。プラセボ効果は徐々に薄れてゆくだろう。より長期間に渡って持続するのは「真の効果」の方なのだ。

図2:実薬とプラセボのグループの症状改善を比べた模式図。プラセボのグループは初期には効果が認められるが、もともと治療薬としての効果が無いので、長期間経過すると症状ははじめよりも悪化してしまう。
臨床試験のデータを眺めていると、プラセボを飲んだ患者さんのグループというのは、やはり3年後、5年後の症状は良くなっていないことが分かる。もちろん、どんな病気を研究しているか、どんな検査値を調べているかによっても変わってくるが、最初の数週間・数カ月だけ効果らしきものが見られるか、数週間後でもすでに効果が消失してしまう場合が大半だ。
ところで、こういう「思い込み」の部分というのは日常生活において非常に難しい問題をはらんでいると、僕は思う。皆さんが風邪をひいたり、お腹が痛くなったり、怪我をしたとき、取りあえず薬屋さんで買ってきた薬を使うだろう。あるいは、家族の誰かが「これでも飲んでおけば」と言って渡してくれる薬を疑いなく使うだろう。・・・それでも案外、症状は良くなる。あるいは、良くなった気がする。痛みがおさまれば、それで問題は消えるわけだ。けれども、それは、そもそも薬のおかげなのだろうか? 「痛くないと思えば痛くない」「チチンプイプイ、痛くない」というおまじないでも良かったのではないだろうか?
薬としての効果が明らかにされていないもの、例えば、どこかの秘境に湧き出ている水だとか、何かの植物から抽出した成分など、そういう物でも「病気が治る」と言われれば少なくともプラセボ効果は現れてくるだろう。ある人が「これを飲んで痛みがとれた」とか、「痛みが無くなった人をこの目で見た」と言えば、それは確かな事実として伝わり、また別な人が飲んだときにもそれなりのプラセボ効果が現れるはずだ。そうなれば「これは有り難い薬だ」という評判が定着する。けれども、もし、それがとても高い値段で売られていたり、何か非常に苦労しなければ手に入らないような仕組みになっていたとしたら、それは問題ではないかと思う。病気の家族や自分のために苦労して手に入れる人のことを思うと、心が痛む。なにしろ、それと同じようなプラセボ効果なら、他のものでも簡単に起こる現象なのだから。
薬の効果というものは、実際に何千・何万という数の患者さんに対する治療データから、真の効果がはっきり示される必要があると思う。プラセボ効果以外にプラスされる部分がない「薬のようなもの」は、やはり、高いお金を払ってまで服用する意味はほとんどないだろうから。