

1967年茨城県生まれ。医学ライター。医療関連編集者を経て、フリーランスライターとして独立。循環器、癌全般、消化器、泌尿器、皮膚科、眼科などの医学記事を執筆。海外取材も多い。
2004-09-13 号
高野 雅典(医学ライター)
先週は、とある編集者の人に連れられて、山形市にある歴史的な明治時代の病院施設を見学してきた。東北地方における西洋医学発展の中心となった施設なのだそうだ。現在残されているのは、明治11年に作られた「済生館」という名の病院の本館のみで、病棟などは残っていない。
明治時代に「済生館」があった場所には現在は「山形市立病院済生館」という病院があり、歴史的な価値のある本館の建物だけが今の場所(山形市・霞城公園)に移築され保存されたのだという。現在、ここは山形市郷土館として一般に公開されており、古い時代の医療器具や資料などが展示されている。

済生館本館は「西洋風」の木造建築。本格的な西洋建築ではなく、あくまでも「西洋風」。西洋建築をほとんどしらない当時の山形の棟梁たちが建立したもので、それだけに歴史的価値がある。重要文化財に指定されているという。
正直なところ、僕は学生の頃から「歴史」が苦手で、江戸後期から明治にかけて日本がどんな状態にあったのか、まして当時の東北地方がどんな文化や風俗を湛えた土地だったのか、よく分からない。そんなわけで、編集者の人に「医学の歴史的な展示がみれる」と言われたときも、あまり興味が持てなかった。時代背景が分からなければ、展示を見ても何も感じることが出来ないような気がしたのだ。
「済生館」には、当時の医学書のようなもの(多くは墨で手書きのものだ!!)、検査や治療用の器具、病気の症例をスケッチした図版などが沢山展示されていた。最初は、どんな時代なのかよく分からないという先入観があったのだけど、それでも器具類などを眺めていると、だんだん何か感じるような気がしてきた。

薬を調合する道具など。解剖図も、どこか日本画の風情がある・・・。

薬を入れる容器など。一番左は「ほ乳びん」だそうだ。

医学書や講義録。

往診用の道具入れ。足の部分がソリになっている。雪の日はこれを押して、往診に出かけたのだ。
例えば、血液の凝集を調べる道具。大事そうに展示されているが、よく見ると、何と言うこともない器具だ。2つの液体を、それぞれ別の方向から流して、中央の皿で混合させる。そして、その部分をのぞき込むようにルーペらしきものが取り付けられている。
診察用の小さな器具のセット。おそらく喉の奥を診るためのヘラのようなものや、耳の中を覗くための道具のようなもの。天秤計りや、丸薬を丸めるための器具などなど・・・。
どれもこれも、素人目に見て「よく、こんなもので医療が行えたものだな・・・」と思ってしまう、そんなものばかりだ。
けれども、僕は大学時代に経験した生物学の実験のことを思い出した。もちろん、そこにはエレクトロニクスを応用した、すごい装置もあったのだけど、案外重要だったのは、簡素な道具をどれだけ丁寧に心をこめて使えるかということだった・・・。例えば、液量を計るピペット、小さな試験管、手作りの極細のガラス管。こういうものを丁寧に扱い、そして原理をしっかり理解して使う。そうすると、実験は思いのほか良い結果になる。エレクトロニクスを応用した機械にばかり頼っていても、何も分からずに終わってしまう。
そんなことを思い出したら、明治時代の、この"粗末な"医療器具たちも、かつては心ある医師たちによって丁寧に的確に扱われて、当時の最新技術である「西洋医学」を体現した立て役者だったのではないか・・・、とそんな気がしたのである。
そして、この「済生館」で、僕はもう1つ重要なことを知った。日本における近代医学の黎明期の出来事として、歴史の教科書などにも書かれている杉田玄白らの解体新書の発行(1774年:安永三年)があるが、実は、その70年も前に、西洋の外科書の翻訳をおこなった人物がいたり、また、解体新書の30年前に中国人が種痘法を日本に伝えていたりする。つまり、日本には、江戸時代中期のころから西洋医学の情報が盛んに伝えられていたようなのである。
ところが、明治になっても、西洋医学は日本に完全に根付いていなかった。この山形の「済生館」が、明治時代の東北地方における西洋医学発展の中心施設になったのは、実はフォン・ローレツというオーストリア人医師が、当時の山形県令である三島通庸によって招かれたからなのだ。ローレツは約7年間の日本滞在の期間に、横浜、名古屋、山形の各地で医師として働き、それと同時に医学教師として日本人医学生を教育した。横浜の外国人居留地での仕事ぶりは、明治8年の新聞にも取り上げられ『嫌はれた西洋医学、漸次信用さる(嫌われていた西洋医学が徐々に信用される)』と書かれているという。
詳しいことは知らないが、おそらく、このローレツのような外国人の医師が日本に来るようになって、西洋医学が本格的に根付いていったのではないかと思う。つまり、西洋医学は、書物の翻訳などでは伝わらず、人が交流することで伝わってきたのだ。それは、おそらく医学に限らないことだと思うが、技術というものは文字や絵だけでは伝わらない。技術をもった人間の仕事ぶりを目の当たりにして、一緒に働いてこそ伝わるものなのだろうと思う。
僕自身にも、みなさんにも、あてはまることだと思うが、何かを会得したいと思ったら、その場に飛び込んで実際に一緒にやってみることが重要だ。大学へ進学する人も、就職する人も、そのことを忘れず、色々な世界に自ら果敢に飛び込んでもらいたいと思う。