

1967年茨城県生まれ。医学ライター。医療関連編集者を経て、フリーランスライターとして独立。循環器、癌全般、消化器、泌尿器、皮膚科、眼科などの医学記事を執筆。海外取材も多い。
2004-08-09 号
高野 雅典(医学ライター)
先日、自分の使っているパソコンが故障してしまって、それを修理するために、とあるパソコン屋に行った。待たされているあいだに、店内に設置された宣伝用のモニターを眺めていると、それは企業広告の一部なのだが、そこに色々な偉人・天才が残した言葉が次々と表示されていた。・・・これはおもしろい。僕は「格言」好きなところがあるので、次々に表示される言葉を興味深く眺めていた。すると、『ほとんど全ての物事は、知れば知るほど、おもしろくなるものだ(フォン・ノイマン)』という言葉が表示された。
それはそうだ。
と、僕は、とっさに頭のなかでつぶやいてしまった。
僕自身、そういうことを何度も経験してきた。
なぜ、こんな話をするのかというと、この2カ月間ずっと取り組んできた仕事が「知れば知るほど」の仕事だったからだ。その仕事を最初に引き受けたのが4年前。「米国泌尿器学会のレポートを作る」というものだった。最初、この話が来たときに「ちょっとマイナーな分野かな」と僕は思った。何しろ基本が素人発想なので、泌尿器といえば「おしっこ」というくらいのイメージしか持っていなかったからだ。みなさんもそうだと思うが、病院にある「科」をあげてみなさいと言われたら「内科、外科、消化器科、皮膚科、眼科、脳外科・・・」と、このあたりまでは思いついても、なかなか「泌尿器科」は出てこない。そんな意味でも「マイナーかなぁ」と思ったし、正直なところ、あまり興味が湧かなかった。
しかも、僕が受けた仕事というのは、泌尿器科のなかで膀胱や腎臓に関することではなく、生殖器に関連すること。実はバイアグラに関連する研究をレポートするというものだった。バイアグラ・・・。当時、週刊誌などが書き立てて一般の人に埋め込まれたイメージからすると、バイアグラは「インポテンツになってしまった元気のないオチンチンを若返らせる驚異の媚薬」。「アメリカで話題になっており、処方箋がないと買えない薬だが、裏ルートがあって日本からも個人輸入で買える」「その効果は絶大で、裏ルートではとても高値で取り引きされている」「裏ルートから購入した男性に副作用が出て、心臓発作で死んだ人がいる」
こんな情報が前もって世間に流布されていたものだから、「バイアグラ」という言葉は、当時、超一級の下ネタ用語だった(今でも、そうかも知れないが・・)。とにかく「バイアグラ」と聞いて目を輝かせないエロおやじはいなかったし、何か、どこか、興味本位で、しかもヒソヒソと声を忍ばせるような、いやらしい裏世界への入り口を示すキーワードみたいな感じだった。
僕だって医学ライターのハシクレだから、医学にはオチンチンの話もあるし、当然、性病や性機能不全の話だってあることぐらいは了解していた。「バイアグラ」というのは商品名であり、本来は「クエン酸シルデナフィル」という化学成分で、歴とした医薬品である。だから、「はずかしい」だの「いやらしい」だのという感覚は持たずに、ごく医学的・科学的にこの仕事をこなすつもりで受けた。・・・とはいえ、所詮は、オチンチンのインポテンツの話である。正直なところ、一生懸命取り組んだとしても、はたして、その後の自分の仕事の糧になるような、発展性のある話題だろうか? という疑念は抱いていた。
でも受けてしまった以上は、しかたない。こうなれば、自分の「男性」としての興味だけでもいいから、エロ魂だけでもいいから、この仕事に取り組み始めよう、と当時、そう考えた。
しかし、米国泌尿器学会で発表された数々の研究報告を記録した資料の束。僕は時間がないので、仕事の材料をいつでも一部持ち歩き、電車の中でも、喫茶店でも、それを広げて読むようにしている。ところが、バイアグラや男性機能不全(ED)関連の資料といったら、人目を気にせずに、うかつに広げることは出来ない。何しろ、ページをめくると突然オチンチンの図解がどばーんと出ていたり、手術中の陰部の写真が出ていたり・・・。英語の医学論文中の性交という言葉は「intercourse」と書かれていることが多くて、この点は、人目をはばかる必要がなく助かるのだが、これは実は婉曲な、控えめな表現であって、正しくは、やはり「sexual intercourse」と、sexの文字が使われる。どういうわけか、sexという文字は人目を引く。電車のなかで「sexual function」だの「sexual counseling」だのという言葉がちりばめられた英文を読んでいると、となりのおやじが、じっと覗きこんでいたりするのだ。しかも、まずいことに論文のタイトルに「viagra」の文字・・・。
そんなこともあって、僕は「なんだか、やりづらい仕事だなぁ」と困ってしまった。追い打ちをかけるように、欧米人の性に関する感覚は明け透けで、日本人以上にハッキリとした表現が使われていて頭がクラクラしてしまった。例えば、バイアグラを使った結果、性生活がどのくらい改善したかという真面目な統計データになかに、「oral sex」だの「anal sex」だのといった単語が登場する。これを、そのままカタカナになおして使っていいものなのか。日本では隠語のようなものだから、これを平気で原稿に書いて編集者に渡したら、自分が変態だと思われはしないか。そもそも、薬を飲んでから何時間でオチンチンがどうなって、それがどのくらいの硬さで何分持続したとか、パートナーの満足度はどうだったかとか・・・英語で読んでいて理解は出来るが、これを日本語でそのまま表現して医学的な記事になるのか。僕が書く記事というのは基本的に医者向けの情報なので、結局、これらを日本語の医学表現に直したとき、どんな風に記述すべきものなのかということから、徹底的に調べなくてはならなくなった。
ところが、そうやって、はずかし思いをしたり、用語をインターネットで検索して膨大なアダルトサイトがリストアップされて辟易したりしているうちに、あることに気づいた。
泌尿器科における男性機能に対する治療(当時はED治療という言葉は、それほど使われていなかった)というのは、平たくいうと、性交が可能なようにオチンチンを硬くさせる治療ということになるのだが、色々調べてゆくと、これは「単なるいやらしい話ではない」ということに気づいたのだ。ある面では、子供が欲しいのにそれが実現できない夫婦のための不妊治療の一部であり、例えば、交通事故などで脊髄に損傷を追ってしまったために性交が出来なくなってしまった男性を治療することなども含まれている。高血圧の薬のように、一般に広く使われる薬でも副作用でEDが起きてくることがある。そういった場合にもED治療が患者を救う。性交がうまく出来ないということが、男性の心のストレスになり、それがこじれると夫婦の仲がぎくしゃくして性生活どころか、日常生活まで息苦しくなってしまうことがある。ED治療は、こういった夫婦も救う。・・・考えてみれば、ED治療は、子供を授かるという「新しい生命の誕生」にかかわり、夫婦や恋人、家族・家庭生活にも関わる大切な側面をもっている。
そればかりではない。日本には「ホテル直行療法」というED治療が存在した。思わず、吹き出してしまいそうな名前の治療だが、どういうことかというと、バイアグラが日本国内で承認される以前は、オチンチンを硬くさせる薬として注射薬が使われることが多かった。ところが、この注射薬は、患者自身が注射することが認可されていなかったのである。注射することが許可されている医療者のみが注射できるのだが、一方で効果の持続時間が限られている薬である。そこで、まず、夫婦が「子づくり」をする予定日を医師と話し合って決めておき、その日時までに病院に行って注射を受ける。そして、急いで夫婦でホテルへ出向いて、子づくりをする。という治療法が「ホテル直行療法」なのである。こんな苦労をしている人たちが実際にはいるのだ。もちろん、人に話すようなことではないから、なかなか一般の人が知る機会は少ない。
僕は、調べれば調べるほど、バイアグラに冠せられた「画期的」という言葉が、本当のものだという思いを深めた。ホテル直行療法のように、人にはずかしくて話せないような治療をするよりも、バイアグラという飲み薬1つで、とても自然に、プライバシーを保ったまま子づくりをすることが出来る。このことの意義は、患者になった人にとっては、とても大きいのではないだろうか。
バイアグラが画期的だと思ったのは、そういった患者にとってのメリットだけではない。科学的な視点からも、興味深い薬理学的な特徴をもっていることが分かった。バイアグラ以前のオチンチンを硬くする注射薬というのは、局部に注射しなければならず、しかも、それを注射したら本人の意思や感情とは無関係に、オチンチンが硬くなってしまうというものだった。オチンチンが硬くなる自然な仕組みというのは、神経の刺激がきっかけとなって、なかの海綿体組織が充血するというものだが、この注射薬は、そういう自然なプロセスとは関係なしに海綿体のなかに血液を強制的に送り込むような薬なのだ。そういう薬を注射して、はたして性交が出来たとしても、それは本人もパートナーも自然な感じではないだろう。ところが、バイアグラというのは、強制的に充血を引き起こす薬ではない。飲んでも、性的な興奮がない場合には効果が現れず、性的な興奮があって初めて効果が現れてくるという特徴をもった薬なのだ。このメリットは、「自然な感じ」というフィーリングだけの問題ではない。注射薬でオチンチンを強制的に硬くしすぎると、内部の組織がダメージを受けて、ますますEDが進行してしまうという副作用がある。だから、注射薬の量の調節というのは難しい。少なすぎては効果が出ないし、多すぎては長時間効き過ぎてダメージを与えてしまうのだ。治療が症状を悪化させるのでは、旧時代の治療というしかないだろう。しかし、バイアグラは性的興奮が醒めると効果も消えるので、ダメージの心配が少なくて済むのである。まさに画期的な薬だと、僕は思った。
そんなことを知るうちに、僕は、ますます、この薬やED治療について興味を持ち始めたのである。最初は単なるエロかと思っていたのに・・・。4年前からはじめて、今年で4回目の「米国泌尿器学会」のレポート。今では、ED治療に限らず、前立腺癌や肥大症、膀胱癌、高齢者の尿失禁など、歳をとると多くの人々がかかる様々な病気に関して幅広く書かせてもらうようになった。
フォン・ノイマンが言った「ほとんど全ての物事は、知れば知るほど、おもしろくなるものだ」という言葉。僕は、この言葉を必ずしも一面的に捉えようとは思わない。フォン・ノイマンといえば、米国の水爆開発推進の中心的研究者だ。知れば知るほどおもしろくなった結果が「負の遺産」を残すこともあるだろう・・・。ただ、「こんなもの」と思って興味を抱かずにいるものの奥に、予想もしないくらい広い世界が広がっていることがあるというのは、本当のことだと思う。