

1967年茨城県生まれ。医学ライター。医療関連編集者を経て、フリーランスライターとして独立。循環器、癌全般、消化器、泌尿器、皮膚科、眼科などの医学記事を執筆。海外取材も多い。
2004-06-07 号
高野 雅典(医学ライター)
インフォームド・コンセントという言葉は,実は,アメリカの裁判の中で使われる法的な用語なのだそうだ。先週も書いたように,インフォームド・コンセントは,医師が患者に対して治療内容を十分に説明し,患者が納得することを指している。
インフォームド・コンセントという考え方が生まれたのは,60〜70年代頃のアメリカでのことだそうだ。個人の権利を大事にするお国柄が,この考え方を生んだのだろう。この時期には,医療ミスに対する裁判が盛んにおこなわれたらしい。当時,アメリカの裁判では,患者の同意を得ずに医師が体に傷をつけるような治療をおこなった場合に,医師が傷害や暴行をしたのと同じように見なされた。実際に,そういう判決が出た例がある。そして,さらに患者の権利が主張される。医師が,治療の内容や伴う危険性を説明せずに治療をおこなった場合も,医師の過失として見なされ罪を問われた。
「お医者さんが,せっかく治療してくれるのに,なにもそこまで責めなくても・・・」という考え方もあるかもしれないが,個人(患者)の権利と医師の義務を突きつめていくと,こういう法的な解釈が必要になってくるのだろう。たしかに,治療後に患者が死んでしまったり,思わぬ後遺症が残ってしまったら,どこまでが正当な医療行為だったのか,どこからが過失だったのか,その線引きが必要になってくる。それから,医師の全てが患者思いの良い医師であるとは限らない。なかには,患者を軽視している人や金儲け主義の人も含まれているかもしれない。それを患者の側から追求するには,やはり,患者と医師,双方の権利・義務をはっきりさせることが必要になってくるのだろう。
インフォームド・コンセントの中身をみると,
・患者には医療上の真実を知る権利がある
・患者には真実を知る権利を放棄する権利がある
・医師は患者の個人的情報を守秘する義務がある
・医師は患者が理解し納得できるように説明する義務がある
・患者には治療を選択する自己選択権がある
・患者には自分が選んだ検査や治療を受けることに同意する権利がある
などなど・・・様々なことが含まれている。70年代に作られた「患者の権利章典に関するアメリカ病院協会声明」や,同じく70年代に作られた「ヘルシンキ宣言」などに,これらのことが詳しく示されているのだそうだ。
そして,もう1つ,アメリカでインフォームド・コンセントが発達・定着した理由に,臨床試験のあり方を明確にするということがあったようだ。日本では,「臨床試験って,人体実験でしょ?」という捉え方が,まだ多くの人のなかにある。それは,アメリカも同じだったようだ。当時,心臓移植のような大きな危険を伴う治療法について研究を行うとき,その研究に参加する患者の権利を守るため,そして,逆に言えば,こういう研究をおこなうことを可能にするため,インフォームド・コンセントが重要視されたのだ。
このように,インフォームド・コンセントという考え方が生まれたいきさつを紐解いてみると,なにやら殺伐としたような,非人間的なような,そんな空気が伴っていることに気づく。けれども,患者の権利を守ることは,患者の命を守ることと同じくらい重要なのだと考えると,このくらい厳密な考え方が必要なのかも知れない。
先週のコラムでは,アメリカで生まれたインフォームド・コンセントを,そのまま日本に持ち込むのは難しいかもしれないと書いた。その理由の1つに,日本では,それほど強力な個人主義が存在しないということがある。患者さんは,医師を頼り,多くの部分を医師に任せようという気持ちが強い。それは人によって,あるいは世代によっても違うかも知れないが,「説明は十分したので,あとは自分で治療を選択してください。そして,それをおこなうことに同意してください」と言われて,ドギマギしてしまう人が案外多いと思う。そんなことを言う医師を見て「患者に責任を押しつけて無責任だ」と反応する人もいるかも知れない。それが良いか悪いかは別として,現状はそうだろう。
それから,日本の医療では,例えば大きな手術や長期間かかる治療などをおこなう場合,患者本人だけでなく家族に対する説明も大切とされている。そして,日本の患者さんは,家族の同意や強力が必要なばかりでなく,自分が勤めている会社にも理解してもらう必要がある。こういったことも,日本の社会が個人中心ではなく,個人と家族,個人と職場といった関係性を中心に動いているからと言えるだろう。
僕自身はというと,もう少し自分の責任や権利・義務といったものをはっきりさせて生きてゆくべきかな・・・と考えているし,自分が患者になったときは,医師に全ての判断をまかせようとは思わない。日本でも,もう少し個人というものが強調されて,それぞれが責任や自覚をもち,主張すべき権利は主張しても良いのかなと思う。けれども,これは僕個人の考え方だ。みなさんは一体どう考えるだろうか。