

1967年茨城県生まれ。医学ライター。医療関連編集者を経て、フリーランスライターとして独立。循環器、癌全般、消化器、泌尿器、皮膚科、眼科などの医学記事を執筆。海外取材も多い。
2004-02-09 号
高野 雅典(医学ライター)
僕が小学生の頃の話だが、世の中に初めてテレビ・リモコンというものが登場した。今では皆忘れてしまっただろうが、そのとき、世の中そして家庭の中でリモコンに対する論争が起きた。「テレビのチャンネルというものは、テレビのそばに行って切り替えるものである。それを怠けて、座ったままで切り替えるとは、怠惰な人間になる第一歩である」というのである。今では信じられない話だが、それは家庭生活の日々のことであるし、子供の教育にも関わることだから、当時は相当に真剣な論議だった。僕の友達のお父さんは、新品のリモコンを壊し「チャンネルを切り替えるときはテレビのそばに行く」という家庭内の法律を作った。実際、そういう家庭が次第に増えていき、それにつれ、小学生の僕らは、それは立派なことだと認識した(笑)。逆に「リモコンを子供に使わせず、夜中に自分達だけ使っている父さんや母さんは駄目な親だ」などと話したりもした。
いうなれば、これはリモコンの弊害を危惧した当時の人達の姿だったわけだ。その後も、家庭用ゲーム機だとか、PCだとか、携帯電話だとか、様々な技術が登場し、その度に様々な弊害が指摘されてきた。けれども、こういった物を普通に使い、慣れてしまうと、はたして弊害があるのか無いのか分からなくなってしまうのが本当だろう。僕自身、リモコンが登場した頃から、あらゆる有害な技術(笑)に曝されてきたわけだが、それらを使ったことで実際に怠惰になったか、人間関係がおかしくなったか、現実と虚構の区別が付かなくなったかと問われると・・・やはり、自分では、よく分からない。
ところが最近、「よく分からない」では済まされないような、もっと深刻な問題が指摘されるようになった。それは、乳児や幼児に対するテレビやビデオの影響である。
乳児や幼児は、僕らと違って、自分で情報を選択したり、遮断したりすることが上手く出来ない。その一方で、この頃というのは、他者とのコミュニケーション能力を獲得するために、脳が活発に試行錯誤と学習を繰り返しているのだ。そういう時期に、生身の人間ではない画面の中の人間が、一方的に言葉をかけ続けたらどうなるか・・・。例えば、小さな子供が、テレビ・アナウンサーの「こんにちは」という言葉に答えて、「こんにちは」とお辞儀してる姿を見たことがあるだろう。それ自体は微笑ましい光景だが、アナウンサーは子供の存在など気にもかけず、何も無かったかのように本日のニュースを読み上げにかかる。そのため、せっかく現実世界で「挨拶」というコミュニケーションを学んでも、テレビという一方通行のメディアによって、それが完全否定されてしまうのだ。さらに、生まれたときからテレビの前に寝かされている赤ん坊はどうだろう。人間を刺激するように調節されたテレビの光と音が、容赦なく目と耳に流れ込む。あるいは、お母さんが与えてくれる笑顔や優しい声とはまるで違った、複雑な表情、ハイスピードで冷たい口調が無防備な脳を直撃する。そして、そんな体験が何らかの影響を残すとしたら・・・。
テレビやビデオなどのメディアが子どもの脳の成長にどのような影響を及ぼすのか、まだ十分には分かっていない。しかし、先日、日本小児科医会が、メディアの弊害から子どもを守るために「2 歳までのテレビ・ビデオ視聴は控えましょう」「授乳中、食事中のテレビ・ビデオの視聴は止めましょう」「子ども部屋にはテレビ、ビデオ、パーソナルコンピューターを置かないようにしましょう」など5つの提言をした。その背景には、テレビやビデオを長時間視聴している子ども達のあいだで、言葉の発達の遅れや心の歪みといった障害が起きている事例があるのだという。
昨年、文部科学省内で実施された『「脳科学と教育」研究に関する検討会』では、現代の科学技術の急激な進歩によってもたらされた生活環境の激変が指摘された。人の脳は柔軟性に富んではいるが、歴史上未曾有の生活環境の変化に対応できる保証はない。この検討会では、変化の激しい現代社会においても、子ども達を健全に成長させるため、医学的な脳に対する研究成果を教育研究にも活かす必要性があると指摘されている。
こんな話は、何やら大袈裟すぎるように聞こえるかも知れない。けれども、振り返ってみると、今時のテレビは、どんどん大画面化し、高画質化し、立体音響になり・・・と変貌している。生まれてきたばかりの小さな赤ん坊が、それをどんな風に理解し、次には、自分の顔が写るビデオ・カメラや、デジカメや、母親の声がする携帯電話やボイスレコーダーをどう理解するのか。リモコンやマウスを指先1つで操作する家族たちをどんな目で見るのか・・・そんなことを考えると、やはり、全く心配ないとは言えなさそうだ。
日本小児科医会の提言は、医者の立場からの提言であり、小児科の現場からの事例報告が根拠になっている。子供の心やコミュニケーションに実際に障害を来すほどの影響があるのだとしたら、僕らは、メディアを活用する現代人として、この問題にもっと目を向ける必要があるだろう。