

京都造形芸術大学教授。映画評論家。NPO教育支援協会チーフ・コーディネーター。「『子どものため』は大人の身勝手。子どもは人質ではない。いますぐできる『学校を楽しくする方法』を教えます」と、文部官僚時代より教育問題に刺激的・積極的に発言する。2006年11月文部科学省を退職。
2002-10-27 号
寺脇 研(NPO教育支援協会チーフ・コーディネーター)
高校生に限らず、子どもたちが楽しそうに学ぶ光景を見るのは大好きですが、反対に大嫌いなのは、自分の立場を必要以上に不幸であるかのように主張し、まして、それを理由に自分の努力不足を正当化する人たちです。
そして誠に残念なことに、現在その種の人間がいちばん多いのが教師らしいのです。らしいのです、と伝聞形になるのは、わたしが直接知っているのはそう多くないから。伝聞で決めつけるのはひどいじゃないか、と言いたくなる人もいるでしょう。その通り。わたしも、そんなこと信じたくもないし、実は違うんだと思いたい。ところが、マスコミの人たちや、「自分は学校現場を知り尽くしている」と威張る教育学者たちに言わせると、今、教師たちの大半は不幸を訴え、だから自分たちは全力を尽くせない、と不平をもらしているというのです。
本当かな?
と疑ってしまうのは、わたしが知っている学校や先生たちの間では、不幸だの不満だの耳にしたこともないからです。いやむしろ、子どもたちを前にして一生懸命力を尽くし、教育という仕事に打ち込んでいる人が多いと感じる。そう反論すると教育学者先生は、得意げに「文部科学省のお偉いさん(わたしのこと)は実際の現場を知らないから」と、さもご自分は御存知のような口振りでおっしゃいます。
まあ、わたしは小、中、高等学校、大学、障害児学校と、けっこう現場を歩いているつもりですが、教育学者先生がそうおっしゃるなら敢えてムキになって「いや、こっちも知ってる」とは言い張らない。謙虚に御説を承ってみると、どうもこういうことらしいのです。
四月から新しい学習指導要領が実施されるなど学校の在り方、学校教育の在り方が大きく変化している。今までのやり方が通用しなくなり、「総合的な学習の時間」の創設など全く新しいことに対応しなければならなくなった。まして、「学力低下」などのマスコミ報道があって、文部科学省自体もゆとりから学力向上へと方針を変えているかのように見える。
それがたいへんだとの不平不満を、大多数の(と教育学者先生はおっしゃる)教師が口にしているというのです。そして、その不満を理由に、仕事をまともにやろうとしていない。たとえば「総合的な学習の時間」の授業をまじめにやっていない、というのです。
信じられない話ですが、もし本当なら、断じて許しがたい問題だ。さて、どうする。