

京都造形芸術大学教授。映画評論家。NPO教育支援協会チーフ・コーディネーター。「『子どものため』は大人の身勝手。子どもは人質ではない。いますぐできる『学校を楽しくする方法』を教えます」と、文部官僚時代より教育問題に刺激的・積極的に発言する。2006年11月文部科学省を退職。
2002-05-26 号
寺脇 研(NPO教育支援協会チーフ・コーディネーター)
今年の5月13日は、わたしにとって忘れられない日になりました。小学校で授業をする、という夢がかなったのです。
大学の頃、小学校の先生になりたいと思ったことがあった。でも、教員免許をもらえるコースをとっていなかったし、また、よく考えてみると行政の立場で教育にかかわるのがわたしには向いている気がして、結局、文部省(当時)を就職先に選んだのです。
だから、仕事で学校を見に行くたびに、教師の立場でここにいたらどうだったろうという気持になります。特に、授業を見学して先生と生徒たちが一体になって勉強しているところなどに立ち会うと、うらやましくて仕方ありませんでした。もちろん、わたしは免許もないし教師としての能力があるわけでもないので、それはただのあこがれみたいなものです。
いくら教育委員会の課長や教育長として先生たちを指導したり場合によっては監督する役目だったとしても、自分がいい授業をできるかというとそれはまた別の話。たぶん、学校現場の先生たちは、文部省や教育委員会にいるわたしがあれこれ言っても、「じゃあ、お前が現場に来てやってみろよ」なんて気持がないわけではないでしょう。
その通り。わたしが教師の仕事をやったらへたくそに決まっている。公務員としての役目が違うのだから、当然です。自分にできないことをできる人、という意味で先生たちを尊敬してもいます。子どもや親の信頼を得る教師になってほしいとの思いからきびしい指摘をすることもありますが、なんだかんだいって、結局わたしは先生という職種の人々が好きなのです。
昔と違って、教員免許を持っていなくても授業をできるようになってはいるのですが、だからといって教育行政しかやったことのない者がしゃしゃり出ていいわけがない。今までだって、授業をさせてほしいとお願いすればやらせていただけるチャンスはあったでしょう。大学生に講義をしたり、小学校、中学校、高校でもそれぞれ子どもたち相手に講演をしたことはあります。でも授業となると別。プロである先生より上手にできるとは思えない。
というので、今まで自分の方からは申し出なかったのですが…。