

京都造形芸術大学教授。映画評論家。NPO教育支援協会チーフ・コーディネーター。「『子どものため』は大人の身勝手。子どもは人質ではない。いますぐできる『学校を楽しくする方法』を教えます」と、文部官僚時代より教育問題に刺激的・積極的に発言する。2006年11月文部科学省を退職。
2002-03-31 号
寺脇 研(NPO教育支援協会チーフ・コーディネーター)
家庭科の男女必履修を実施するときのもうひとつの反対論、それは、今回と同じく「学力低下」の問題です。
家庭科なんか大学入試に出ないのに、やる必要はない! 学力とも関係ない! そう叫ばれると、はっきり言って腹が立つよりも先に、情けない気持になってしまいます。学校とは、学力とは、大学入試のためにつけるものなのでしょうか。 頭の固い高校教師たちよ、あなたがたは「生活」を何だと思っているのか。
人は、学歴や肩書きを得るためにこの世に生を受けたのではありません。人間らしく充実した人生を送るのが、生まれた目的だと思います。そのためには、衣食住の生活環境を豊かにして過ごすことが欠かせません。「豊か」とは、贅沢な暮らしをする意味ではなくて、心を豊かにということです。
高価な服でなくても、自分の趣味に合った格好をし自分はこんなセンスの人間ですとアピールするのが豊かな衣生活。高級料理でなくても、旬の味を求め、自分の身体に必要な栄養分をきちんと取り入れる知恵を持つのが豊かな食生活。大邸宅でなくても、自分が暮らしやすい住居を工夫していくのが豊かな住生活というものでしょう。さらには、夫婦関係、育児、介護など生活にまつわる活動のひとつひとつが、「自分らしい」ものであるとすれば、生きている喜びにつながるはずです。
受験学力だけを伸ばして「いい大学」へ入り「いい会社」へ入ったとしても、自分らしさがないのでは、「いい友達」もできないだろうし、「いい恋人」、「いい家族」にも恵まれないんじゃないでしょうか。それでも学歴と肩書きさえあればいい? 何が自分にとって大切かを考えるのを怠って、学力だ、入試だ、ではさびしいですね。
学力という言葉には魔力がある。まるでお金と同じだと思います。お金も学力も、ないよりはあった方がいいと誰でも思う。しかも、たくさんあればあるほどいいと思ってしまう。けれども、これまた共通しているのは、それを強く求めすぎることによって別の何かを失ってしまう危険性があるということなのです。