

京都造形芸術大学教授。映画評論家。NPO教育支援協会チーフ・コーディネーター。「『子どものため』は大人の身勝手。子どもは人質ではない。いますぐできる『学校を楽しくする方法』を教えます」と、文部官僚時代より教育問題に刺激的・積極的に発言する。2006年11月文部科学省を退職。
2001-11-04 号
寺脇 研(NPO教育支援協会チーフ・コーディネーター)
先週紹介した朝日新聞の記事には、まだまだヘンなことが載っています。
愛知県の小学校校長59歳の話。記事をそのまま引用します。 【(前略)虐待を受けている疑いのある児童が見つかったことがある。授業では 問題のない子だったが、担任が家庭訪問すると、母親は言った。「先生に家庭のことまでとやかくいわれる覚えはない」。何度、呼び出しても親は来なくなった。子どもも教師を避ける。
校長は、もう、教師が家庭の問題まで入ることはあきらめている。「学校の敗北だが、仕方ない。これからは地域頼みです」】
母親の方が正論です。わたしも思う。「先生に家庭のことまでとやかくいわれる覚えはない」と。まして学校では問題がない子だというのに、家庭のことで呼び出しまでかけられてはたまらないでしょう。個人の生活に土足で踏み込む行為です。教師という公務員には、そんな権限は認められていません。
じゃあ、虐待があったとしたらどうなる!
と言う人もいるでしょう。そちらには、きちんと公的システムがあります。児童相談所。だからこの学校は、家庭訪問したり親を呼び出したりするほど虐待の疑いを持ったなら、すぐ児童相談所に連絡して対応してもらわなければならなかった。児童虐待防止法が施行された昨年11月以降の話なら、明らかな法律違反行為です(そのことに気づかずに記事にしている朝日新聞もお粗末)。つまり、虐待があったとしても、それに立ち入ることの許されている公務員は児童相談所職員に限られるのです。
権限も持たないくせになんでエラソーに家庭の在り方について指図できたりするんだろう?
学校や教師が反省しなければならないのはこの点なのです。「学校の敗北」?
なんでそれが「敗北」なのでしょう。学校が勝負しなければならないのは本来の学校教育の部分です。授業がわからない子や学ぶ楽しみを感じない子を作ってしまったり、学校に行きたくないと思わせてしまったときにこそ、敗北を感じるべきでしょう。
愛知県にはこんなふうに権力をはき違えた校長がいるのか、と思うと、愛知県出身の藤井誠二さんの気持が改めてよくわかります。