

京都造形芸術大学教授。映画評論家。NPO教育支援協会チーフ・コーディネーター。「『子どものため』は大人の身勝手。子どもは人質ではない。いますぐできる『学校を楽しくする方法』を教えます」と、文部官僚時代より教育問題に刺激的・積極的に発言する。2006年11月文部科学省を退職。
2001-10-21 号
寺脇 研(NPO教育支援協会チーフ・コーディネーター)
中1の少女に手錠をかけて高速道路上に放置し死に至らしめた教師の件をずっと論じてきましたが、とりあえずここでの議論を一段落させるに当たって、ひとつだけ触れておきたいことがあります。
それは、亡くなった少女のこと。彼女に対して、テレクラ遊びをするなんてとんでもない子だ、との非難が少なくありません。ひどい場合には、そんな子だから死んでも同情できないと言わんばかりの声さえあります。
断じて違うと思います。彼女に責任はない。12歳の子どもを健やかに養育する責任は親にあるのです。それが十分なされていたとは到底思えない。それどころか、児童相談所が介入しなければならないほど「児童虐待」に近い状況にあったといいます。
親から必要な愛情を与えられず、存在を肯定してもらえない状態にある12歳が、たとえ相手の目的が下劣なところにあったとしても自分の話を聞いてくれたりほめてくれたりインスタント食品でなく整った暖かい食事をごちそうしてくれたりするとしたら、つい電話してしまうのも無理ないことではないでしょうか。 それが自分の心の尊厳や幼い身体を傷つける行為だとわかっていたとしても、愛情に飢えている12歳がテレクラや出会い系へ走るのを責められないと、わたしは思います。
子どもが育っていくに当たっては、親の責任が何より大きいのです。と同時に大人全体の責任ということもある。テレクラだの出会い系だのというシステムは、子どもが作ったわけではありません。大人の欲望を満たすためにできたものです。利用してお金を払う大人がいなくなれば、たちどころに商売として成り立たなくなり姿を消す道理です。大人が作っておいて、それを子どもが使うと非難するというのはおかしい。
ただしかし、親や大人全体にも責任があるからといって、例のとんでもない教師やそれを許した「教育業界」の責任が軽減されるわけではありません。当然、業界の一員であるわたしの責任も深く認識しているつもりです。
あの少女のような目にあう子どもがいなくなるように、「教育業界」人として、またひとりの大人として、日々努力したいと思います。