

京都造形芸術大学教授。映画評論家。NPO教育支援協会チーフ・コーディネーター。「『子どものため』は大人の身勝手。子どもは人質ではない。いますぐできる『学校を楽しくする方法』を教えます」と、文部官僚時代より教育問題に刺激的・積極的に発言する。2006年11月文部科学省を退職。
2001-10-14 号
寺脇 研(NPO教育支援協会チーフ・コーディネーター)
「教育業界」仲間内のかばい合い、と前回書きましたが、それは同時に重大な責任回避でもあります。かばう、と言うと聞こえがいいところもありますが、要するに、自分たちが同僚の実態に鈍感だったり無関心だったりしたことをごまかす意味もあるわけです。
この、かばい合い(実は責任回避)の体質については、このコラム月曜日担当の藤井誠二さんが、学校の外側から鋭く観察している通りです(今、藤井さんがコラムで書いているのは高校時代に生徒の立場から学校へ異議申し立てした頃のことですが、最近の藤井さんの仕事は、学校外の社会から学校のヘンなところを撃って快調!)。いじめや自殺や殺傷事件など生徒の側で問題が起こったときだって、「あの子がそんなことをするなんて信じられない」のコメントはしょっちゅう出てきます。
特に、校長など管理職的役割を持つ場合には、責任回避とのそしりを免れないでしょう。知らなかった、わからなかったですむなら、世の中に責任者は必要ない。校長だ、教育長だ、文部科学省の幹部だと大きな顔をできる理由があるとしたら、それは大きな責任を負っているから以外のなにものでもないでしょう。その責任を回避してはいけない。
もちろん、むやみやたらに責任を取りまくる必要はないけれど、重大な局面ではきちんと出処進退(これは、意味が分からなければ辞書で調べてもらいたいくらい重要な言葉です)を明らかにしなければなりません。日頃人に命令したりお説教をたれている人間ほど、いざというときには自らに厳しくなければ、ただいばっているだけと思われても仕方ないでしょう。
広島県の教育の最高責任者である教育長という仕事を任せられるに当たっても、常にその責任の重さを感じていました。ある県立学校の教師がとんでもない不祥事を起こしたとき、本人を懲戒免職に処したのはもちろんですが、教育長であるわたしも進退伺を提出しました。その結果、厳重注意ということで処分を受けたのです。責任者として二度とこうしたことを起こさぬよう最大限の努力をすることを、生徒、保護者、県民の皆さんに誓うつもりで、厳しく受け止めたのを思い出します。