

京都造形芸術大学教授。映画評論家。NPO教育支援協会チーフ・コーディネーター。「『子どものため』は大人の身勝手。子どもは人質ではない。いますぐできる『学校を楽しくする方法』を教えます」と、文部官僚時代より教育問題に刺激的・積極的に発言する。2006年11月文部科学省を退職。
2001-10-07 号
寺脇 研(NPO教育支援協会チーフ・コーディネーター)
「あの先生がそんなことをするなんて信じられない…」「まじめな人だったのに…」
女子中学生に手錠をかけて拉致しようとして死に至らしめてしまった教師に対して、校長をはじめ同じ学校の教師たちが発した第一声です。
こんな反応だけはしてほしくない、というのが学校教育について責任を持つ者のひとりとしての切なる願いです。広島県の教育長をしていたとき、県立学校の校長たちに、このことをよく徹底しました。たしかに、昨日までの同僚に対して厳しい人物評をするのは気持のいいものではないかもしれません。しかし、それは個人の感情です。
公務員である立場で納税者たる国民の皆さんに向けて出すコメントは、公的な性格を持ちます。「人を憎む」必要はないが、「罪を憎む」ことは公的にきちんと表明しなければならない。罪を犯したことを、「人を憎まず」式の感情論でごまかすわけにはいきません。だから、学校の同僚が何か犯罪を犯したとき、「まじめな人だったのに」では通用しない。本当にまじめだったら犯罪には走らないのです。そんなコメントを出す学校や校長を、国民が信頼するわけがありません。
しかも、わたしの経験からいうと、外部に対しては同情的なコメントを出しながら、個人的関係の中では冷たく当たるケースが多い。これでは「罪を憎んで人を憎まず」の正反対。「罪をうやむやにして人を爪弾きにする」に等しい。私的には人を憎むか憎まないかの問題があるでしょうが、公的には、罪を憎むか憎まないかの問題が重要なのです。
校長や教師、あるいは教育委員会や文部科学省の人間がそこをはっきり認識しないとするならば、国民の皆さんは許さないと思います。そんな公務員たちに学校をゆだねるのはごめんだ、とわたし自身、一納税者の立場でならば思います。
まして、問題を起こした生徒に対しては「おまえはクズだ」「おまえのような者は社会で通用しない」などと人間性そのものを否定するようなことを言う教師が少なくないという事実もあります。それでいて同僚については「まじめな人だったのに…」では、結局「教育業界」の仲間内のかばい合いと批判されても仕方ないでしょう。