

京都造形芸術大学教授。映画評論家。NPO教育支援協会チーフ・コーディネーター。「『子どものため』は大人の身勝手。子どもは人質ではない。いますぐできる『学校を楽しくする方法』を教えます」と、文部官僚時代より教育問題に刺激的・積極的に発言する。2006年11月文部科学省を退職。
2001-08-19 号
寺脇 研(NPO教育支援協会チーフ・コーディネーター)
今の高校生と30余年前のわたしとが、いちばん違っているのは、行動の自由があったかどうかです。当時のわたしは、年間200本近い日本映画を観まくる映画少年でしたが、すんなり映画館通いできたわけではありません。
まず、家を出られるかどうか。驚くでしょう? 外出の自由がなかったんです。昔の親は厳しかった。うちなんか、親の許しなく出かけるわけにいかなかったのです。なにしろ、受験勉強は嫌いで本や映画の方にばかり熱心だから成績はいつも超低空飛行。そしてまた悪いことに、うちの父親は有名大学へ入ることにしか価値を認めない人でした。したがって、受験に役に立つ行為以外は一切許さない。友達と遊びに行くのだってダメなくらいですから、簡単に外出させてくれません。勉強部屋に幽閉状態と言っていいほどでした。
だから、かえって夏休みは出にくい。学校があっているときは、放課後や、場合によっては授業をサボって映画館へ行くチャンスがあるのに対し、休みだとそもそも外出自体が難しくなるのです。そこで使う手は、予備校の模擬試験を受けるとウソをつく(こんな真似を奨励しているつもりはありませんが、当時はせっぱ詰まっていたのです)。これは、親にもらった受験料を映画代に当てられるので一石二鳥。
そうやって親のバリアーを突破しても、次には街頭補導(!)が待っている。何それ? と思うでしょ。わたしが高校時代を送ったのは鹿児島市。当時の鹿児島は、高校生が明確な用もなしに繁華街を歩いてはいけないことになっていたのです(まるで戦前の話みたい。もちろん、30年前でも都会は鹿児島とは違っていました。前に紹介した庄司薫さんの小説『赤頭巾ちゃん気をつけて』などを読むと、東京の高校生は銀座や新宿をさっそうと闊歩していてうらやましい限りでした)。
街頭補導との涙ぐましい闘いについては、また次回。