

京都造形芸術大学教授。映画評論家。NPO教育支援協会チーフ・コーディネーター。「『子どものため』は大人の身勝手。子どもは人質ではない。いますぐできる『学校を楽しくする方法』を教えます」と、文部官僚時代より教育問題に刺激的・積極的に発言する。2006年11月文部科学省を退職。
2001-08-12 号
寺脇 研(NPO教育支援協会チーフ・コーディネーター)
高校生の皆さんは夏休み真っ最中ですね。
いいなあ。最近は大人もけっこう長い休みが取れるようになってきましたが、わたしにはあまり縁がない。土曜、日曜さえ、全国各地で開かれる教育関係の集会や研修会に呼んでいただけるものだから東奔西走。楽しい旅行へ出かける人々を横目に見ながら新幹線や飛行機で日帰り移動の連続です。
忙しそうに働けばいいってもんじゃないのはわかってる。ああ忙しい忙しい…と口で嘆きながらうれしそうに働くというのは、昔、高度経済成長とかバブルとか言われていた時代のオジサンたちの習性=過去の遺物です。わたしもゆっくり休みたい。たくさん働けば偉いなんて全然思っていない。でも、そうしなければならない局面があるのもまた事実なのです。で、残念ながら今日もお仕事。
そう思うと、高校時代の夏休みはよかったなあ。たっぷり時間があって、いろんなことができた。遊びの時間も「勉強」の時間も、いくらでもあった気がします。#14で「勉強」について問題提起したときに敢えてカギカッコ付きで書いたのは、わたしの思っている勉強が、宿題とか受験勉強とかの学校的勉強だけではなくて、読書や映画、音楽、美術鑑賞なども含めた幅広い概念だからです。
それは遊び? そうは思わない。自分の中の何かを豊かにするものであれば、勉強でしょう。でも、勉強という言葉にはなんとなく強制的で楽しくないイメージがある。そこで、わたしの言う「勉強」を学習という言葉で表現したい。新しい知識を得たり自分の知らなかった生き方に触れる機会として生かすならば読書も学習、映画も学習…。
その意味で、高校生のわたしにとって読書や映画は学習の一部でした。もちろん、遊びもやってましたよ。麻雀とかゲームセンターとか。それは誰にでもイメージできるでしょうから、三十余年前の高校生のわたしがどんな「勉強」をしていたか、しばらく語りたいと思います。