

京都造形芸術大学教授。映画評論家。NPO教育支援協会チーフ・コーディネーター。「『子どものため』は大人の身勝手。子どもは人質ではない。いますぐできる『学校を楽しくする方法』を教えます」と、文部官僚時代より教育問題に刺激的・積極的に発言する。2006年11月文部科学省を退職。
2001-07-22 号
寺脇 研(NPO教育支援協会チーフ・コーディネーター)
皆さんは、「勉強」というと何をイメージしますか?こんな問いを発する気になったのは、最近受けたインタビューの際に考えさせられることがあったからです。神奈川県藤沢市の教育文化センターが、市内の中学3年生全員を対象にねばり強い調査を続けてきた結果、最初に行った1965年からいちばん最近の2000年まで、一貫して「勉強」に対する意欲が低下し、「勉強」時間も減っているというデータがあり、これについてのコメントを求められたのです。こうしたデータは、他の調査でも同じ傾向を示しています。…だから、今の子どもはダメなんだ!
学力低下だ!
努力する気がない!
と短絡的に騒ぐ人もいるでしょう。でもね、まず、なぜそうなったのかをよく考えてみる必要がある。そもそも「勉強」って何だ、というところから始めなければならない。65年といえば、わたしが中学校に入った年です。その頃のことを思い出してみると、「勉強」の意味が今とはずいぶん違ったものだったように感じます。まず、学校の勉強をするのは至極当然であり、わざわざ勉強がしたいか?
とか自問する者などいなかったのではないでしょうか。わたしは将来高校へも大学へも進学するつもりでいましたが、多くの同級生は中学校を卒業すると就職の道を選ばざるを得なかった時代です。「就職列車」というのを知っていますか?
鹿児島などでは多数の中学卒業者が京阪神や中京方面へ就職していく毎年春になると、彼らを送り届けるため特別に仕立てた列車が運行されたのです。駅のホームで両親や先生、友達と別れを惜しむ涙、涙の場面がニュースで報道されるのが風物詩でした。そんな時代、勉強ができるだけで幸せという感覚がまだ残っていました。就職する中学3年生にとっては、もう「勉強」する機会が失われるという切迫感。進学する組だって、同級生が高校をあきらめて就職していく一方で「勉強」のチャンスを与えられているのだからおろそかにできない気持でした。そうした時代背景の違いをきちんと意識して比較しないと、ただの「今の若者は…」的非難に終わってしまいかねないと思うのです。