2008-01-30 号
多賀谷 浩子(フリーランス・ライター)
ずいぶん前のことだが、イラン料理のお店に行ったとき、いい感じに歳を重ねた初老のマスターに「仕事は何をしているんですか?」と訊かれ、「ライターです」と言うと、「じゃあ、あなたは人生をよく知っているんですね」と言われたことがある。
なんと詩的な…と思ったのだが、この映画を見終わったあと、そのことをふと思い出した。
『ハーフェズ ペルシャの詩』の舞台は、イランのとある詩塾。
高校生の皆さんは、塾といえば、学習塾を思い浮かべるかもしれないけれど、この詩塾はイスラム教のコーランを学ぶ場所。つまりは、宗教…人生を学ぶ場所なのだ。
この映画の監督であるアボルファズル・ジャリリは、いつでも映像で詩を詠んでいるような監督だが、この映画を観ると、こういう場所に彼の原点があるのだということを「理解」でなく「感じる」ことができる。それが面白い。実際に、イランの映画人にインタビューすると、詩の話がよく出てくる。

印象的な青色の壁、テーブルの上に置かれた花、砂漠を駆け抜けるバイク…映されたものたちが、単なる「もの」ではなく、雄弁に語りかけてくるジャリリ映画に、今回、新風を吹き込んでいるのが、麻生久美子さんだ。今村昌平監督の『カンゾー先生』(98)を観たジャリリ監督が、彼女に熱烈アプローチ。出演が決定した。
「ジャリリさんが日本に来た時に「会いたい」って言ってくださって。そのたびに何回かごはんを食べたりしていたんですけれど、もう人柄に惹かれて。ジャリリさんの作品というより、ジャリリさんが好きだったんです。面白くて(笑)。だから、一緒に映画をやりたいって言われた時は本当にうれしかったです。ジャリリさんなら、どんなにつまらない脚本が来ようともやろうと思っていました(笑)。運よく素晴らしい作品に出させてもらったので感謝しています」
そんな麻生さん。実際にお仕事をして、さらにジャリリ監督の面白さに触れたようだ。
「イランに行ったんですが、いつまで経っても、撮影が始まらないんですよ。でも毎朝、電話がかかってくるんです。明日から撮影はじめるって。明日からって言われたら、初日だし、気合入れて待つじゃないですか?そうすると次の朝、また電話がかかってきて、明日からって言うんですよ。それがもう何日も続いて。嘘のように(笑)。いよいよ移動することになって、「ああ、やっと始まる」って思ったら、「現場を観にいこうか」。連れていってもらったら、まだ家を作ってるんです(笑)。そこ、撮影現場なんですよ。始まるわけないじゃんって思って(笑)。気を遣ってるのか何なのか、よくわからないですけど。結局、2週間くらい経って、いよいよ明日からっていう時に、ジャリリさんが「いっぱい観光できてよかったでしょ?イランに馴染んでもらうために時間をとったんだよ」って。絶対ウソなんですよね(笑)。だって、家、できていなかったし(笑)」
聞いていて思わず笑ってしまうジャリリさんとのお仕事。この映画は麻生さんにとって初めての海外スタッフとのお仕事でもあるのだが、日本の現場とは違う面もいろいろあったらしい。
「日本の現場と大きく違ったのは、監督が全部やるんです。美術もカメラも照明もぜんぶ。だから、監督がひとり、すごく楽しそうなんです(笑)。もちろん、スタッフの方も真剣に楽しんでやっていらっしゃるんですけれど、監督が突っ走っている。それ以外の方は、自由気ままで寝ていたり。こういう現場なんだ、自由気ままでいいなって私たちも寝ていました(笑)」
ジャリリ映画のゆるやかな空気は、だから生まれるのだ、ということが感じられるエピソード。けれど、現場に入る前、麻生さんには悩みもあったそう。
「入る前、すごく怖かったんです。はじめての海外の作品というのもあったんですけれど、イラン映画で、ジャリリさんはいつも素人の方ばかり使っている方だから、私みたいに女優を職業としてやっている人を使う場合って、もしかしたら…いやになっちゃうかもって思ったんです。素人の方に魅力があるのは、私もすごくわかっていて、それが好きでそういう方ばかり撮っているのに、いきなり私が入って、芝居というか、いままでのクセとか、そういうものがたくさん出たら…小芝居って言ったらヘンだけど(笑)、そういうのが出ちゃったら、きっと嫌がるだろうなと思っていて、自分がどうしたらいいのか、ちょっとわからなくて。どういう自分を出したらいいのかが。でも、きっと今までのジャリリさんの作品を見ていても、皆すごく自然に、ただそこにいるのが当たり前のように映っていて、カメラを意識しているような感じでもなくて。だから、「ああもう私、いろいろ考えるの、やめよう」と思って。女優だからって、いままでの経験を最大限活かしてみたいなのも、絶対やったらダメだって思ったんです、なんとなく。今回は今までの女優の経験はすべて忘れて、ただその場にいることを目標に空っぽにいたいなと思ってやりました。日本人の私をイラン人として、映画に出させてくれる監督だから、きっと女優の私が欲しいんじゃなくて、私自身が必要なんだろうと思ったんです。それがすごくうれしかったですし。だから、何も考えず、私がそこにいればいいかなっていう風に考えを変えました」
麻生さんが演じるのは、この映画のヒロイン。主人公の青年ハーフェズは、異国からやってきた彼女の「コーランの家庭教師」を依頼される。麻生さん演じるナバートは、コーランのフレーズに浮かぶ疑問をハーフェズに投げかける。そこに次第に滲んでいく恋の香り。けれど、それは禁じられた行為。許されない二人の恋は、やがて―。
「この映画みたいに、詩で愛を詠われたら?日本だと、ビミョーな感じがしますよね(笑)。イランだと、キュンとくるというか、すごく素敵でかっこいいなと思っちゃいました。でも、日本の男性は、ああいう形では表現しないだろうけれど、口には出さなくても、そういう思いを熱く持っている男性はいちばんかっこいいと思っています。詩ですか?それはちょっとどうなんでしょう(笑)。シチュエーションにも寄ると思うんです。たとえば、つきあい初めで、ラブラブな時期に、詩とか詠んでもらったら、単純にうれしいじゃないですか。でも、ずいぶん経ってからだと…それが似合う人と似合わない人もいるし(笑)」

イランの撮影現場では、舞台になった土の家がお気に入りだったそう。
「土で作った家があるじゃないですか。黄土色の…黄土色って最近いわないですよね(笑)。すごい、久しぶりに言った(笑)。黄土色の家があるじゃないですか。あれを見た時に、すごく感動したんですよ。私、イランに来たら、この景色が見たかった!と思って」
映画に映るだけで詩的なムードを醸し出す、土の家。そして、ヒロインの感情を表すかのように色を変える、細やかな刺繍の施された衣装とヴェール。緑も青も赤い色も、すべてこの映画の中だけに見える潤いをたたえていて印象深い。
「ジャリリさんは映画をいっぱい見ている方だと思っていたのに、ほとんど見ないって、この間初めて知ったんです。『カンゾー先生』も、たまたま見た映画がその映画だったって。「いつもだったら、映画は寝るんだけど、たまたま寝なくて」って言っていたから、私ラッキーだったなと思って。いろいろな映画を見ていたら、私、選ばれていなかったかも」
出会うべくして出会ったような、麻生さんとジャリリ監督。国籍など人間の入れ物ではなく、人間の芯にあるものを映し出すジャリリ監督と、麻生さんの自然な女の子らしさが、ごく自然に馴染んでいる。
「あまり頭で考える映画ではなく、感じる映画だと思っているので、台詞の響きや絵もすごくきれいですし、そういうことで感じてくれればうれしいです。詩のような映画だと思っているので」

イランの土の家の話になった時、「黄土色って、久しぶりに言った」って楽しそうに笑う麻生さんが、とっても可愛かった。大人の女性の女の子らしさって、ホントに素敵です。
恵比寿の東京都写真美術館ホールにて公開中。
公式サイト:http://www.bitters.co.jp/hafez/