2007-09-19 号
多賀谷 浩子(フリーランス・ライター)
最近、ある作品の現場を取材している。
現場の張り詰めた緊張感は、本当にきもちいい。
誰かひとりでも妥協した空気を流してしまうと、
これが崩れるのだろうなと思う。
ものづくりの現場の真剣勝負。たまらない。
現場にいると興味引かれることがままあって、
その大きなひとつが、監督の「演出」。
この「演出」という言葉、高校生の皆さんはどう捉えていますか?
そもそも、意味する範囲のとても広いこの言葉。
俳優さんの演技を導く(そういえば、中国語で監督のことを「導演」といいますね)ことももちろん「演出」だし、
たとえば、昭和30年代を舞台にした作品なら、
セットやファッション、その時代の空気を再現することも「演出」。
さまざまな「演出」で、1本の作品が出来上がる。
ここで触れたいのは、「導演」の方。
そのシーンは、主演の俳優さんが「驚く」→「発見する」という流れのある長台詞を一気に喋るというもので、私は固唾を飲んでその撮影を見守っていた。その俳優さんは、スカっとした男らしさが魅力のタイプ。本番前のテストの時、彼はその台詞を一気に喋った。それは、細かいことをちまちま言ったりしなさそうな、ドカンと男らしい魅力の彼らしかった。けれど、一気に喋ってしまうと、「驚く」はスムーズに立ち上がるのだけれど、「発見する」に命がこもらない。観客はなんとなくその過程を通り過ぎてしまう。
はて、監督はどう「演出」するのだろう? と思った。その俳優さんは、頭で、というよりは、どちらかというと体で演技をするタイプで、それがきもちのいい魅力につながっている人。監督が言葉で説明しすぎたり、演技に道筋を立てたりしすぎると、きっと彼は頭で考えてしまうだろう。頭で考えた演技は、観客の生理にまでは届かない。予定外の感動を生まない。特に彼の魅力は、そういう種類のものだった。
さあ、どうする―?監督は一言、「発見する」の部分の実際の台詞「わかった!」を発した。「ここなんだけど…『わかった!』って」と、本当に一言だけ。けれど、その「わかった!」は、その台詞にこめられている思いとか、間をぴったりと表した「わかった!」だった。言われた彼の方も「はい」と一言。その後、テストを繰り返すうちに、彼の「わかった!」は、みるみる輝きを帯び始めた。最初のテストで台詞を言っているようだった「わかった!」が、本物の「わかった!」に変わる瞬間。こんな瞬間に立ち会ってしまうと、本当にぞくぞくする。
誰にどうものを言ったら、その人に通じるか。
「演出」は、撮影現場だけの話ではなく、日常のそこかしこにあるもの。
ケンカしちゃった友達に、どう切り出したら仲直りできるんだろうとか、
やる気のない部活の後輩に、
何をどう話したら、やる気になってくれるんだろうとか、
高校生の皆さんも、
日々そういうことに直面しているのではないでしょうか?
ぴったりと人の心に届く人は、やはり魅力的。
1本の映画は、そんな瞬間のたまものなのだ。