2005-08-04 号
多賀谷 浩子(フリーランス・ライター)
8月のこの時期になると、戦争を舞台にしたTVドラマが放送されたり、
多くの人々が広島・長崎に思いを馳せると思うのですが、
今日とりあげたいのは、黒木和雄監督の“戦争3部作”。
長崎を舞台に、1945年8月8日——原爆が投下される前日であるこの1日を舞台に
未来…明日への希望を胸に抱きながら生きていた人々を描いた
『TOMORROW 明日』(1988)。
動員先の工場で空襲に遭って自分だけが生き残り、
友達を見殺しにしたという罪の意識から体調を崩し療養している少年と
彼をとりまく戦時下の人々の日常を
南九州・霧島の美しい自然のなかで描き出した『美しい夏キリシマ』(2003)。
そして、昨年このコーナーでもご紹介した『父と暮せば』(2004)。
たびたび上演されている井上ひさし原作の同名舞台の映画化。
広島の原爆で友人も父親も失い、自分だけが生き残ったことに胸を痛める若い女性と、
前向きに生きてほしいという願いをこめ、彼女の背中を押すために
この世に幽霊となってあらわれる「おとったん」。
『父と暮せば』の舞台を観て、黒木監督はずっと映画化を望んでいたそうです。
ほかでは滅多にありえないことですが、
この映画は一箇所の台詞以外、戯曲の台本を変えることなく、
そのまま映像化されていて、舞台のような濃密な心のやりとりが展開します。
一滴の血も流れなければ、むごい描写も出てこない。
けれど、宮沢りえの清潔感あふれる演技の向こうから、
胸が痛くなるような彼女の苦しみと葛藤が、ものすごい勢いで伝わってきます。
数ヶ月前に、この映画のDVD発売を記念して、
黒木監督と井上ひさしさんのトークショーが行われました。
そこで私は、黒木監督が『美しい夏キリシマ』の少年のように、
友達が空襲で亡くなり、自分だけが生き残るという経験をなさっていることを知りました。
黒木監督はその胸の内を、とても抑えめに語っていらしたけれど、
そのときの「自分だけが生き残って申し訳ない」という気持ちにいまも苦しんでいて、
少しでもその償いができたら…という切なる思いから、
これらの映画を撮っているという話を聞いたときは胸が痛くなりました。
そして、映画を撮っても、その苦しみは少しも軽くなることはなかったといいます。
戦争で亡くなった人や怪我をした人のほかにも、
目に見えない傷を負った人がたくさんいて、その傷があまりにも深いために簡単に口に出すこともできず、いまでも抱えている人がたくさんいる——
『父と暮せば』のなかで
原爆のことを調べに図書館にやってきた青年に、
図書館で働いている主人公の女性が言います。
「あの日の広島は、絵になるようなこともなあ(ない)。お話になるようなこともなあ……」
人間、本当に心が動いたときには、それを口にすることができないもの。
それは、すばらしいことに関してもそうですが、
悲しいことに、辛い、苦しい体験についてもそうなのだと思います。
あのトークショーでの、
黒木監督のお話はとても静かで、寡黙でしたが、
すごくショックで、いまもずっと胸の中に残っています。
戦争なんて絶対に起こってはいけないのだ…という当たり前のことが、
ずっと当たり前であり続けますように。
いまも戦火に包まれている地域に穏やかな日が訪れることを祈りつつ。