2005-03-17 号
多賀谷 浩子(フリーランス・ライター)
わたしの友人で、非常に「食べっぷり」のよい女の人がいる。きれいな人なのだが、本当によく食べる。たぶん、食べることが大好きなのだろう。食べ物の話になると、彼女はきらきらしている。こちらが少々、食欲がないときでも、彼女と一緒に食事をすると、なんだかつられてごはんが進んでしまう。よく食べる女の人というのは、なんだか正直な感じがして、きもちがいい。
ずいぶん前に観た映画で、女の人の「食べっぷり」が妙に印象に残っている映画がある。1990年に製作されたリュック・ベッソン監督の『ニキータ』だ。殺し屋として育てられた若い女性を描いたこの映画の中で、主人公の二キータが食事をする場面が登場するのだが、彼女の食べ方が妙に印象的だった。
最近はプロデューサーとしての仕事も多く、『TAXi』(1997)などの娯楽作の印象が強いリュック・ベッソンだが、彼の映画が好きな人にとって印象深いのは、『グラン・ブルー』(1988)や『ニキータ』だろう。もちろん、その後に撮られた『レオン』(1994)もヒットしたけれど。
私は、『ニキータ』の甘くなさがとても好きで、とりわけ、この映画の終わり方が気に入っている。どんなラストなのかは、観てたしかめていただけたら…と思うのだけれど、甘くなくて、いい。この映画のテイストと、すごく合っている。主演のアンヌ・パリローもなんだか、とても魅力的なのだ。
一方、食べない人を描いた映画もある。『マーサの幸せレシピ』(2001)が、それだ。レストランの厨房を舞台にした作品で、そこに並ぶ色とりどりの食材が、やわらかなライトで映し出され、観ているだけでうっとりする。そんな環境にいながらも、この映画の主人公マーサは、食べない。彼女は、とても優秀なシェフ。計ったように、完璧な料理を作る。なのに、自分では食べない。食べることを楽しめない。
そんなマーサの暮らしに、予想外の来客が舞い込んでくる。母親を失った幼い姪リナだ。人づきあいの不器用なマーサと似たような性格のリナ。静かで完璧なマーサのモノクロームの生活が、にわかに色づきはじめる……さまざまな戸惑いと騒動を連れて。ふたりの仲をとりもつ重要な役割を果たすのが、イタリア人シェフのマリオ。自分ひとりがシェフを務めていた厨房に途中から入ってきたマリオをマーサは気持ちよく思っていない。しかし、イタリア人の典型的イメージを体現したような「食」と「恋」を愛する陽気な男マリオの存在が、マーサをひとりの世界からゆっくりと連れ出していく。やがて、彼女は「食べる」ことを知る……。
人に向かう、人とコミュニケートすることは、食べることと似ている。ごはんをおいしそうに食べる人は、たぶん、人間が好きな人なのだと思う。食べたものが、その人を作る。体だけでなく、心も。おいしく食事をいただくことが、生きていくエネルギーにもなる。
ところで、モンゴルの大草原で暮らすという経験をさせて頂いた際、さっきまでその辺りを歩いていた山羊の肉を頂くという経験をした。「これはとても神聖なことだから、遊び半分のきもちで見ないなら」と現地の友人たちに言われて、解体する様子を見せて頂いた。「食べる」というのは、「ほかの生き物の命をいただく」ことなのだと、体感した出来事だった。都市で生活していると、なかなかそのことに気づけない。毎日のごはん、おいしく…の前に、たいせつに頂きたいと思う。