2004-12-30 号
多賀谷 浩子(フリーランス・ライター)
夕暮れ時になると、よく空を眺めるのですが、
空と地上の境界線を眺めていると、この空のずっと向こうでは、いまでも戦下で苦しんでいる人がいるのだな…ということを、ふと思い出すときがあります。
国内的にも、そして国際的にも不穏なニュースをよく耳にした今年の締めくくりに、
今日は、そんな人々の様子を描き出した作品をとりあげてみたいと思います。
まずは、イランの名匠モフセン・マフマルバフが手がけた『カンダハール』(2001)。主人公はアフガニスタンからカナダに亡命した女性ジャーナリスト。アフガニスタンに残った妹から、惨状に耐えかねて自殺をするという趣旨の手紙を受け取った彼女は、妹を救うために彼女の住むカンダハールをめざします。その過程で、アフガニスタンの当時の様子が描かれていくのですが、マフマルバフ独特の鮮やかな色彩のなかで描かれるのは、ヘリから義足が投下され、足を失った人々がそれを取りに行く…というような、恐ろしいはずのことが日常になってしまっている惨状……。9・11事件の起きた数ヶ月後にこの作品を観て、アフガニスタンがこうした状況にあることを、ずっと知らずにいたということにもショックをおぼえた作品でした。
同じ頃に製作されたのが、『ダンス・オブ・ダスト』(1998)をはじめ、ドキュメンタリーとドラマが融合したようなパワフルな映像世界を描き出すイランのアボルファズル・ジャリリの作品『少年と砂漠のカフェ』(2001)。戦下のアフガニスタンを逃れ、国境近くのイランの小さな町・デルバランにやってきた幼い少年が、その地でカフェを営む老夫婦に受け入れられ、生まれて初めてあたたかな愛情を知り、日常の仕事を手伝いながら彼らのもとで暮らしはじめる……アフガン難民の少年が懸命に生きていこうとする姿を通し、アフガニスタンの当時の状況が浮き彫りになります。
タリバン政権下に生きる少女の苦悩を詩的な映像で描き出したのは、アフガニスタンのセディク・バルマク監督の『アフガン・零年:OSAMA』(2003)。このコーナーでも、今年の春に、監督のインタビューとともにご紹介しています。同じく、アフガニスタンに生きる若い女性の姿を描いたのが、『午後の五時』(2003)。この作品を手がけたのは、1980年生まれの監督サミラ・マフマルバフ。彼女は、『カンダハール』のモフセン・マフマルバフの娘にあたり、マフマルバフ一家は、奥様も娘さんも映画監督という映画ファミリー。今回、サミラの妹、1988年生まれのハナ・マフマルバフも、『午後の五時』の主人公を演じるアフガニスタン女性を探すまでを追ったドキュメンタリー映画『ハナのアフガンノート』(2003)で監督デビューしています。
サミラ・マフマルバフといえば、彼女の第二作目にあたるのが『ブラックボード−背負う人−』(2000)。戦争が続き、学校で授業ができない状況下、授業をするためにブラックボードを背負った教師たちが山道を歩いていく……という印象的な場面から始まるこの作品は、イラン・イラク戦争の末期に起きた実在の事件を基に、かつて自分たちの村を攻撃され、故郷を追われたクルド人の人々が、戦火を逃れながら、ふたたび故郷を目指す様子が描かれています。
クルド人の監督といえば、『酔っ払った馬の時間』(2000)、『わが故郷の歌』(2002)を手がけたバフマン・ゴバディ。『酔っ払った馬の時間』では、イラク国境に近いイランの村を舞台に、弟と妹を守るために密輸の仕事を引き受け、危険を冒しながらも必死に生きていこうとする少年の姿が描かれています。『わが故郷の歌』は、冒頭、クルド人の3人のミュージシャンが繰り広げるドタバタ珍道中のよう。でも、そのおかしさの中から、戦争が身近にある彼らのおかれた状況の恐ろしさがじわじわと伝わり、衝撃的な後半へと続きます。今年の第5回東京フィルメックスでも上映された、ゴハディ監督の最新作『Turtles Can Fly』(原題・2004)は、日本でも劇場公開予定。アメリカのイラク攻撃の数週間前を舞台に、生活していくために地雷を掘り出す作業をしている少年たちの様子を描き出したこの作品は、観終わったあと、胸がいっぱいになり、しばらく言葉が出てきませんでした。
切に、平和を祈りつつ−。
皆さん、よいお年をお迎えください。