2004-08-26 号
多賀谷 浩子(フリーランス・ライター)
今日、ご紹介するのはM・ナイト・シャマラン監督の最新作『ヴィレッジ』。
M・ナイト・シャマランといえば、『シックス・センス』の大ヒットを思い出す人も多いのではないでしょうか。ラストに待ち受けていた驚きのドンデン返しと、その根底に流れている核心をついた人間ドラマは、たくさんの人の感動を呼び、その後の作品『アンブレイカブル』、『サイン』にも熱い関心が寄せられました。
この監督の映画、ドンデン返しも含めたスリラーとしての面白さはもちろんのこと、
そこに描かれている人間ドラマがすばらしい。
何か面白いことを描こうとして描いたというよりも、
本当に描きたいことを描いた、描くべきものとしての勢いが感じられるのです。
『シックス・センス』で描かれた、
自分だけ死者が見える男の子の孤独、死んでしまった女の子の孤独、
そして妻と分かり合えないブルース・ウィリス演じる精神科医の孤独……
3人に共通する、大切な人と「わかりあえない」淋しさ。
『アンブレイカブル』に描かれた、
131人が亡くなった列車事故でひとりだけ無傷で生き残った男。
おまえは「アンブレイカブル(不死身の体)だ」と謎の男に告げられ、
自分に与えられた使命は何なのかと、戸惑う彼の迷い。
そして、彼にそう告げた謎の男の生い立ち。
ガラスのように壊れやすい体に生まれつき、孤独の中で
漫画の本だけを頼りに、人生の哲学を識ろうとしてきた男の内的世界。
『サイン』に登場した、
愛する妻の死のショックで神を信じることができなくなってしまった牧師。
信じることができなくなり、闇の中で惑い悩む彼のもとに、
ある不思議な出来事が起き、彼は信じるきもちを取り戻す…。
これらの物語は、胸の中になんともいえない感動を呼び起こします。
その感動は、わたしたちも自分の人生の中でもよく知りえるもの。
大切な人にわかってもらえなかったときの淋しさ、しかり。
自分にできること、すべきことは何なのかという迷い、しかり。
信じることができなくなり、心の迷路にはまり込み、
信じるきもちを取り戻した時の悦び、しかり。
今週初めに開かれた『ヴィレッジ』の来日記者会見でシャマラン監督はこう話しています。
「毎回、自分の映画を撮るということは、僕にとってはセラピーのようなもので、自分がそのときに感じていることや悩んでいることを全部、映画を通じて語っているのです。自分が誰であるかということにたどり着くためでもあるのですけれど」。
映画にリアルタイムであらわれる、シャマラン監督自身の「自分は何者なのか」という問い。
だからこそ、監督の描く人間ドラマは強い感動を呼び起こすのだとあらためて実感しました。

「世界中の人々が監督の作品に夢中になるのは、どうしてか」と尋ねられると…
「それは、僕がインターナショナルだからじゃないでしょうか。
生まれはインドのボンティチェリー。でも、いま住んでいるのはフィラデルフィアです。
地球儀で見ればまったく裏側に位置して1万キロくらい離れたところにいるわけです。
文化的にも違っていて、たとえば、うちの母は、地下にいる幽霊を追い払う儀式を行ってからお昼ごはんを食べる…そういうことを普通に生活の中でやっている。そして、僕はアメリカ人の友達と普通にバスケットボールをやって、ハンバーガーを食べてというアメリカ的な生活を送っている…その両方が自分の中にあるのです。だから、ある少年が道を歩いていて超自然現象が彼に起こったとしても、僕の中ではそれをごく自然なものとして受け入れることができます。そして、僕の親戚はイギリスにもいますし、シンガポールにもいます。常に物語を考えるときは、国際的な視点から見るのです…この話がインドにいるおばあちゃんに通じるだろうか、シンガポールにいる叔母にも通じるだろうか…という思いで(脚本を)書いています。」
一般に超自然的と呼ばれる出来事と、とても自然に共存しているシャマラン監督が、
なぜ、そうなったのかを伺い知ることのできるこの答え。
それを聞いていたら、ふと『サイン』のラストの感動を思い出しました。
誰にでも、何かを選択したり、迷いの淵にふと落ちてしまったりして、
いまの自分の状態について「これでよかったのか」と思ってしまうことがあるもの。
そんなときに「これでよかったのだ」と思える瞬間に出会えることは、本当に悦び。
誰もが知るような、その悦びを描いたこのラスト…
シャマラン監督の中には、目に見える現代的なものと、目に見えない精神的な世界が、
無理のなく、とても自然に共存しているようです。
そんな自然なシャマラン監督からは、穏やかでやさしい空気が漂います。
ところで、今回の新作ヴィレッジは、どんな着想から生まれた作品なのでしょう。
「時代もののラブストーリーが書きたいと思ったのです。ちょっと変わった、サスペンスのある場所を舞台にして。いちばん最初に思い浮かんだのは、ある人々のグループがあって、その人たちが魔よけをするために何か儀式を行うというもの。そこから発想が始まっていて、ロマンスが始まる…困難を乗り越えないといけないロマンス、そんなラブストーリーを描こうと思ったのです」。
普段は、外国に映画のプロモーションに訪れることはないのだけれど、
この映画は、特に日本人にわかってもらえる気がして
来日をとても楽しみにしていたという監督。
「日本の文化は決められた「型」を重んじる文化であり、同時に感情を大切にする文化でもあると思うのです。ちょうどいま、僕の中でも、決められたものをきちんとやるという面と感情を大切にする面、その両方でやっていきたいと思っているところだったのです」。

そんな『ヴィレッジ』の舞台は、19世紀後半のペンシルヴァニア州。
深い森に閉ざされた小さな村。
60人ほどの住人たちは互いをよく知り支えあい、
そこにはユートピアのような共同体ができあがっていた。
そんな彼らの平和な生活には、いくつかのルールがあった。
ひとつは、決して森に入ってはいけないということ。
もうひとつは、赤い色のものを取り除かなければいけないということ。
そして最後は警告の鐘が鳴ったら注意しなければならないということ…。
これらの「掟」が破られたとき、
住人たち以外の「何者か」が、村に姿を現すというのだが……。
「この映画は『掟』が破られるところから物語が展開しますが、
監督自身は掟を破って、痛い思いをした経験はありますか」という質問を受けた監督は
「自分の中には、いろいろな法則があります。『こわいから、やらないようにする』とか、『こういうやり方なら安全』というのが。でも、こわいからこそ、それにチャレンジすることも大事だと思います。ここ10年間くらいは、いままでやらなかった、ルールを破るということを敢えてしています。あまりにもやりすぎると居心地がよくない…そういうことを経験しながら、やっていくことが成長だと思うのです。クリエイティブな面でもそうですし、プライヴェートでもそうです。
(ヒロインを演じて今回一緒に来日した)ブライスにも常に言っていたのですが、行き過ぎても、そうやってチャレンジしていくことで、自分が誰なのか、どういう人間であるかがわかっていくのだと思います。映画業界はクレイジーです。君は天才だといわれて、ちょっと歩くとおまえは最低だといわれる。いろいろな人の影響もあるし、映画が成功する場合も失敗する場合もあるから、自己を確立していないと非常に危険だと思います。僕はとても強い信念をもって…あまりカットはしすぎない、キャストは舞台出身の人を雇う、ペースを守る…(と自分の信じることを大切に)映画を作っています。いちばん信じているのは、観客の知的レベルなのです。スタジオ・システムの中では、『そんなに難しくすると観客はわからない』とよくいわれるのですけれど、僕は自分の映画を観る観客は、自分よりもIQが高いと思って映画を作っています。だから、観客は真実も見極められると思うし、ここまで4本の映画で、観客を信じて自分の信念を貫いてきました。だからこそ、いま、それは正しかったと思っています。いろいろな掟を破って、いろいろ痛い目にあうから、成長してこられるのだと思います。」
『ヴィレッジ』は9月11日より日劇3ほか全国にて公開。
ホームページ:http://www.movies.co.jp/village/