2004-08-19 号
多賀谷 浩子(フリーランス・ライター)
うーん、とにかく気持ちいい。水をごくごく飲むように、音が体中に染みわたっていく…。キューバ音楽をとりあげ大ヒットした『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』の監督ヴィム・ヴェンダースが手がけた映画『ソウル・オブ・マン』。残念ながら広く世に知られることのなかった愛すべきミュージシャン3人をとりあげ、ブルースの波動を存分に感じさせてくれる作品だ。決して単なる「音楽ドキュメンタリー」にはならず、この映画自体を「音楽」にしてしまっているのが、さすがヴェンダース。肌になじむようなブルースと、ミュージシャンの存在そのものの音楽を次々に浴びせかけ、観客に決して頭で考えさせない。この音楽の洪水は、あまりに気持ちいい。それは、ヴェンダース自身がグっときたものだけが、ここに結集しているからだろう。
スキップ・ジェイムス(1902−1969)
3人のうちのひとりは、1930年代に活躍したスキップ・ジェイムス。ギターを手にした彼からあふれてくるのは、日常の中から自然と生まれてきた音楽。この「作ろうとしてできた」のではない、日々を暮らしていくなかで「自然とできてしまう」感じが、いい。作られるべくして作られた音楽は、時間を越えて、多くの人のきもちのど真ん中に届いていく。
私事で恐縮だが、先日訪れた絵本作家の葉祥明さんの美術館に、葉さんの詩が展示されていて、その中のひとつに「詩を感じられるように、日々を暮らしたい」というような内容のものがあった。素敵だなあ…と思った。絵の生まれる生活、歌があふれ出てくる生活……このコラムのタイトル「映画のある生活」も僭越ながら、そんな思いでつけさせて頂いた。現実を潤いながら生きていくのには、絵や歌や映画……「物語」が必要だ、とつくづく思う。
そんな「物語」が紡がれる様子。ブルースは、まさにその人の生きることそのものを映し出す。その人のリズムをありのままに伝える。私たちは、それに酔いしれてしまう…。
先に触れたスキップ・ジェイムスをはじめ、シマウマ柄やゴールドの奇抜な衣装で社会問題を歌い続けたJ.B.ルノアー(1929−67)、1977年に宇宙へ旅立ったボイジャーに積まれているナンバー『ダーク・ワズ・ザ・ナイト』を生み出したブラインド・ウィリー・ジャクソン(1902−1947)。ヴェンダースが好きだという理由で、ここに登場した3人は、個性も音楽も違う。けれど、3人の「音楽」が流れ続けるこの映画を観終わる頃には、観客の心の中には「ブルース」が届いている。そして、同時に『ソウル・オブ・マン』という映画のタイトルにも合点がいくはずだ。
また、スキップ・ジェイムスのナンバーをエリック・クラプトンがカバーしている映像も登場。同じように、今年のフジ・ロックにも登場したルー・リードやベック、ニック・ケイブやボニー・レイット、そしてカサンドラ・ウィルソンといった錚々たるミュージシャンたちが、ここでとりあげられた3人のミュージシャンのナンバーを歌い奏で、自分たちの「ブルース」で伝えている。
9月に来日するカサンドラ・ウィルソン
『ソウル・オブ・マン』は、今月28日よりヴァージンシネマズ六本木ヒルズにて公開。
この作品は、マーティン・スコセッシ率いる“THE BLUES Movie Project”の一環。
ほかに6本の「ブルース」映画が公開される。
詳しくは
http://www.blues-movie.com