2004-07-22 号
多賀谷 浩子(フリーランス・ライター)
過去の辛かった時期のことを
いま、距離を置いて客観的に思い出すと、
「よく耐えられたなあ…」なんて思ったりする。
でも、その渦中にいたときは、
耐えるも何も、それしかないというか、
一瞬、一瞬を生きていくしかないので、案外イケる。
時間をおいて外側から見れば、
「辛い時期」とひとことで表すことのできる時期も、
その最中には、辛かろうが何であろうが、
いつもと同じ現実が脈々と続いている。
ご飯も食べれば、仕事に行ったり学校に行ったりもする。
うれしい出会いもあれば、何かに笑ってしまったりもする。
現実とは、そういうものなのだろう。
外側から見れば、事実だけが目に映るが、
内側から見れば、
外側からは計り知れない、
そのときの本人にしか、感じられない、わからないものが息づいている。
『誰も知らない』には、そんな現実がていねいに描かれている。
この映画は、実際の事件をモチーフにしている。
1988年に起きた
「西巣鴨子供4人置き去り事件」と呼ばれている事件だ。
それぞれに父親の違う4人の子供と、その母親があるアパートの一室に暮している。
子供たちの出生届は出されておらず、子供たちは学校にも行かせてもらっていない。
さらには、12歳の長男・明以外は、部屋の外から出ることも許されていない。
こう書くと、なんだかものすごく恐ろしい光景を想像してしまいそうだが、
映画の中では、YOU演じる若くてチャーミングな母親が、
子供たちと冗談を言い合いながら、
「うるさくすると、ご近所から苦情が出て、アパートを追い出されてしまうから
外に出ちゃ、いけません!いいですかっ!?」
みたいなノリで、楽しそうにやっているのである。
お母さんと他の兄弟と過ごす時間に、はしゃいだり、よろこんだりしている子供たち。
とてもプライベートで、一見すると、しあわせそうな家族の風景。
「子供4人を置き去りにして恋人のもとへ出て行った母親」という客観的事実からは
計り知れない現実が、そこに描かれている。
やがて、母親には恋人ができ、子供4人を残し、アパートを出て行ってしまう。
長男・明にお金と短い書き置きを残して。
明は、他の3人の兄弟とともに、母親の置いていったお金で、
いままでどおりの暮らしを続けていこうとする。
「置き去りにされた子供たちの暮らし」といえば、
ただひたすら大変なものに思えるのだが、
彼らの生活には、兄弟で笑い合う瞬間もあれば、
食べ終わったカップラーメンに土を入れ、植物を育てたりもする。
彼らの現実の真実。彼らにしかわからないもの。
言葉では表せないもの。
でも、わたしたちの毎日にも、たしかに漂うものが、そこに息づいている。
是枝裕和監督は、子供たちに台本を渡さず、
現場で、口頭で台詞を伝える方法をとったという。
子供たちは、大まかなこと以外、
自分たちの演じる子供たちにこれからどんなことが起きるのか、知らずに演じていた。
世間から見たら「尋常じゃない」、
でも、外界から遮断された彼らにとっては、それしかない「普通の」現実を
「普通」に呼吸している子供たち。
それが、すごい。子供たちの演技が、あまりにも自然だ。
フィクションだから描けた「現実」が息づいている作品。
8月7日からシネカノン有楽町ほかにて公開。

カンヌ国際映画祭で最優秀主演男優賞に輝いたことでも話題になった長男・明役の柳楽優弥。
(c)「誰も知らない」製作委員会