2004-05-13 号
多賀谷 浩子(フリーランス・ライター)
今日お送りするのは、先週に引き続き、カザフスタンの映画監督のお話。気持ちにじんわりと染み込むような監督のお話を聞いていると、まるで物語に耳を傾けているような気分になってしまいます。(先週のコラムをご覧になっていない方は、「バックナンバー」でご覧いただけます。)

セリック・アプリモフ監督
昨年12月に開催された「第5回NHKアジア・フィルム・フェスティバル」。そこで上映された新作5本のうちの1本、カザフスタンのセリック・アプリモフ監督が手がけた『ハンター』。カザフスタンの大自然を舞台に、複雑な家庭環境で育ち心に満たされないものを抱える少年が、ハンターと共に暮らし、自然の息吹を感じること、女性を愛すること、そしてハンターという仕事について…あらゆることを教わり、成長していく様子を描いた作品です。
この映画の題材にもなっている「ハンター」という職業。現在の日本ではあまり馴染みがありませんが、広大な領土に多くの狼たちが生きているカザフスタンでは職業として成り立っているのだといいます。
「10歳のとき、やんちゃなことをしたりして反抗的だった私を、父があるハンターに預けたのです。(監督は、12歳で都市に出てくるまで、山村で暮らしていたそうです。詳しくは前編をご覧ください。)私は、ハンターと一緒に1ヵ月半くらい山をさまよい歩きました。そして、ハンターとは何かを私はその時に知りました。しかし、私が共に過ごしたハンターは酒好きの酔っ払いで、カザフスタンではそんなにお酒は肯定的なイメージではないので、周囲から『なんで、そんな酔っ払いのハンターに預けるのだ?』と言われたりもして、そういったことも加味して映画に出てくるハンターのイメージができあがりました。だから、実際に私が出会ったハンターと映画に出てくるハンターは違うのです。でも、もし、この映画に登場するハンターが酒好きだったら、人間としてもっといきいきと描けたかなという気もします」。
お酒を飲んでハンター?手元が狂わないのだろうか…?
「だいたいハンターというのは、狼や獣をしとめますね。すると、さばいて毛皮をきれいに残して最初の家に寄るわけです。その時、手ぶらで寄るわけにはいきませんから、お土産に毛皮をもっていくのです。相手の家にとってはハンターは毛皮をもってきたお客ですから、ハンターはウォッカでもてなされて、酔っ払うのです。
ハンターは、よく牧夫たちをいじめるのですよ。『おまえさんたちは、家畜と一緒じゃないか。羊たちが向かう方へとついていくだけじゃないか。俺は、あちこち好きなところへ行くのだ。何の秩序もない。規則もない。俺こそ自由人だ』といって。牧夫たちは怒ってしまい、喧嘩になったりするのです。
本当のハンターというのは、獲物を見つけた時、獲物が自分の近くに来たから打つのではなくて、可能な限り自分から獲物に近寄って打つ。つまり、それは自分の意志なわけですね。近づいて近くでしとめるというのが、本当のハンターなのです。誇り高いハンターたちは、『人間たちも皆、動物と一緒だ。朝ごはん食べて、昼ごはん食べて、夜ごはん食べて。生活の秩序というものがある。でも、ハンターにはそんなものはないのだ。どんな獲物も追えるし、彼らの生活形態も把握しているし、だからハンターこそが自由人だ』という誇りを持っているのです」。
ちょっとおとぎ話を聞いているような気分になってくる。
その語り口は、監督の映画で語られる物語を思い起こさせる。
監督自身は、幼い頃からどんな風に映画とつきあってきたのだろう。
「とても気のいい叔父がいて、酔っ払ってうちに来るとお小遣いをくれたのです。そのお金で映画に行きました。私の兄が叔父がくれたお金を集めて、友達に映画の切符買ってきてと頼むのです。映画館の受付の人はロシアの女性で、こんなに太っていて、お腹もこおんなに出ていて、ドアは狭くて切符をもぎってお客さんを入れるのだけれど、兄が切符を渡している間に、私のことを足で突っつくわけです。私は彼女のお腹の下をもぐりこんで、ただで入ったのですね。
『ジャミラ』というカザフ映画。これが、初めて観た映画でした。7、8歳の男の子がいて、その姉が17、8歳かな。その村に兵士たちがやってくるのです。そのうちのひとりをその少女が愛してしまう。でも、兵士たちは駐屯してまた別の場所へと去っていってしまう。両親はとんでもないといって許さないのだけれど、少女は彼を追いかけていくのです。弟である少年が叫びながら姉の名前を呼ぶのです。「ジャミラー」とね。それを見ながら、私は「なんてバカなんだろう」と思って。愛について知らなかったものですからね。ああやって追いかけて去っていくというのは、かなりシリアスなことなのだろうと思ってはいたのですけれど」。
微笑ましいエピソードを話しくれた。やはり、この監督の経験はそのまま丸ごと映画の物語になってしまいそうだ。次回作の構想は、すでに監督の頭の中にあるのだろうか。
「またもや、ひとつのある感覚が私の中にあります。誰かがバスに乗り込んで、バスは発車してしまうのだけれど、小さな男の子はそこに残っている。これが、なんだかわからないのだけれど、そういう像がいま頭の中にあるのです。これは実際に私が体験したことなのですが、休暇でアルマアタから自分の村に戻ってきたのですね。そこには7歳の弟がひとりぼっちで暮らしていました。父が一ヶ月ほど出張で出かけていて。弟は暖炉を燃やしたり、料理を作ったり、すべてひとりでやっていて、しばらく私と一緒に過ごして、私はもう帰らなければならなくなった。私が出発するバスが早朝6時なのですよ。だから、まだ寝ていなさい、送ってこなくていいよと私は言ったのだけれど、7歳の弟は送ってきた、そういう経験があるのです。だから、大人がバスに乗って行ってしまう、小さな子がバスを見送っているというのは実生活から来ているものです。映画は別のものになるでしょうから。そこから何が始まるかはまだわかりません」。
ここから、どんな映画ができあがるのか…数年後のお楽しみだ。ところで、『ハンター』の主人公の少年。とても自然な演技なのだが、どんな演技指導がなされたのだろう。
「シーンの終わりを知っていると、俳優ははじめから終わりまでを素早くやってのけるのです。でも、それはとても表面的な演技になる。結末がわからないと、ひとつのシーンの中でどうなるのだろうと探しながら演技をしていく、そのときに非常に深い演技ができる」。
これは、日常生活でも同じだよな…と思った。スピードの速い現代社会では、先に目的を定めて、そのために合理的に何かをするということが増えていくような気がする。でも、それは予定調和ともいえるわけで。人間が生きるっていうことは、たぶん、この監督が言っている「結末がわからないと、ひとつのシーンの中でどうなるのだろうと探しながら演技をしていく、そのときに非常に深い演技ができる」ということの方に近いような気がする。
映画と同様に、セリック監督の哲学がにじむインタビューのお話。話を聞いていると、すっかりその世界に引き込まれてしまう。ちなみに、どんな本を読むのが好きかを訊ねたところ、
「普段は、本を読むことが多いです。サルトルとかカミュとか。ドストエフスキーとか。哲学的、心理的な作品が多いですね。三島由紀夫や村上春樹も読みます」。
最後に、カザフスタンについての話になった。『ハンター』ではカザフの文化がスクリーンに映し出されているが、監督にとってカザフスタン的なものというのは、何なのだろう。
「たとえば、人間の心理の基本っていうものがあると思うんです。たとえば、すべてが同一のものばかりだと、その中で何が違うかというのを探し始めます。無意識のうちに。違うものばかりがあるところからは、人は共通のものを探し始めます。だから、兵士たちが隊列を組んでいたりすると、軍服は同じですから、じゃあ人々は彼らの何を見るかといえば、皆、顔を見る。違いますから。
たとえば、私は映画の中でエキゾチックなもの、カザフの山々とか狼とかハンターであるとか、ほかの国の人から見てエキゾチックなものを画面に出してくるときには、何をそこで描くかというと、心理なのです。その心理というのは、その人の経験であるとか、ロシア語で「ペレジバーニエ」という言葉があるのですけれど、(日本語で端的に言い表すのが、とても難しい言葉らしい。“何度も生きる”という意味があり、たとえば、映画に「ペレジバーニエ」するというと、その映画に入り込んで、主人公とともに苦しみや喜びを共有する、シンクロするというような意味があるそう)それを中心に描くのです。背景はエキゾチズムだけれど、この「ペレジバーニエ」というのは人間であれば国境を越えてしまうのですね。世界的に共通する感覚なわけです。
たとえば、自分の映画の中でテーマが都市の問題だとすると、この都市というのは同じような車が走っていて、同じようなビルディングがあって、あまり変わり映えしない。そうすると、それを背景にしたときに、何に重点を置くかというと、そこに登場する人のメンタリティなのです。メンタリティというのは違いがある。国によって、同じ人間でも違いがある。そういうメンタリティを描こうとするわけですね。ですから、カザフ的なものを表現するときには、このような手法をとっています」。
「ペレジバーニエ」—素敵な言葉を教わってしまった。たしかに、誰かと会って話をしてうれしくなるのも、映画や音楽に触れて心が高揚するのも、この「ペレジバーニエ」があるからだと思う。それを言い表す言葉がある、というところに、情緒の豊かな国民性を思った。監督をきっかけにカザフスタンという国にも興味がわいてくる。
セリック監督のお話は、まるで物語のようだ。それは監督の日常が、豊かに物語を刻んでいるというでもある。物質的になりがちな現代社会の対極を行くかのように、監督の口から語られた内容は、すべて「心」のこと。お金でも物でもない、人間本来の「ここにある」悦びが、そのお話から感じられた。
セリック・アプリモフ監督や監督の映画『ハンター』についても掲載されている
NHKアジア・フィルム・フェスティバルのホームページは、
http://www.nhk.or.jp/sun_asia/