2004-05-06 号
多賀谷 浩子(フリーランス・ライター)
ゴールデン・ウィーク明けの木曜日。お休みの余韻に浸りながら通学した人も多いのではないでしょうか。今日は、そんな状態の心と体にすーっと染み込んでいくようなカザフスタンの映画監督のお話をお届けしたいと思います。監督の話してくださったお話がゆっくりと時を刻むおとぎ話のようでもあるので、できるだけその模様をたっぷりと楽しんでいただければ…と思い、今週と来週、2週にわたってお届けします。

『ハンター』より
このコーナーでもたびたびお伝えしてきました「第5回NHKアジア・フィルム・フェスティバル」の監督インタビュー(2月にインドのムラリ・ナイール監督、香港のキャロル・ライ監督のインタビューをお届けしています)。昨年の12月に東京・恵比寿の写真美術館で開催されたこの映画祭。今日は、新作として上映された5本の作品の中から、カザフスタンのセリック・アプリモフ監督をとりあげたいと思います。
NHK−BSハイビジョンでも2月末に放映されたので観た人もいるかもしれませんが、セリック・アプリモフ監督が手がけ、今回この映画祭で上映された作品は『ハンター』。カザフスタンの大自然を舞台に、複雑な家庭環境で育ち心に満たされないものを抱える少年が、ハンターと共に暮らし、自然の息吹を感じること、女性を愛すること、そしてハンターという仕事について…あらゆることを教わり、成長していく様子を描いた作品です。しっかりと心に届く作品ですが、映画を観ていない人にも、この監督の中に息づく物語は興味深いものなのではないか…しばらくの間、その物語におつきあいいただければと思います。

セリック・アプリモフ監督
まず、この監督を取材していて印象的だったのは、映画祭で、初めてこの映画が観客に披露される直前に監督が行ったあいさつ。
「モスクワ映画大学で映画の勉強をしていたとき、
92歳でとてもお元気な映画監督に教わりました。
ある日、彼に『そんなに元気なのは、どうしてなのですか』と訊ねると彼は
『それには自分の映画を、決して観客と一緒に観ないことだ』と言いました。
これから、『ハンター』をごゆっくりご覧になってください。
私は外に出てタバコを吸ってきます」。
そう行って本当に外にタバコを吸いに行ったセリック・アプリモフ監督。
ご自身の作品が観客にどう受け入れられるのか、相当にドキドキしていらっしゃる様子が印象的でした。このちょっとユーモラスで、おおらかな感覚が、監督のお話のそこかしこに息づいていて、インタビューをしている間、映画を観ているような気分になってしまったのでした。
12歳のときにお母さんが亡くなるまでは、最寄りの(?)都会まで420キロという山村で暮らしていたというアプロモフ監督。初めて都会に出たときのことを訊ねると、
「最初はとても興味深かったのですが、だんだん飽きてしまいました。とても退屈で、3年間誰とも話をしませんでした。何か言われると頷いていて、3年間、一言も口をきかずに人々を観察していました。その期間があるゆえに、映画監督になったのかもしれません。15歳から18歳の3年間です。口を利かなかったから、女の子もつきあってくれなくて、だから私の映画には愛のテーマが表れなかったのかもしれませんねえ。でも、友人たちとは散歩にいったり、出歩いたりしていたのですよ。それで、友人たちが女の子たちと話しているのをベンチに座って口もきかずに観察していたのです。カザフでは、『女の人たちは耳で愛して、男は目で愛する』という諺があるように、女の子たちはお話をする男性が好きですからね。
カザフ人はだいたい寡黙なのです。都会の人たちは、よくおしゃべりしますけれども。 モスクワ国立映画大学を卒業して家に戻ったら、親戚の人たちが『おお、セリックは話をするようになったんだな』と。結局、話をせざるを得なかったのですね。叔母にあったときに『こんにちは。お元気ですか』と言っただけなのに、叔母はびっくりしていました」。
冒頭から驚くべき発言。3年間、口を利かなかったとは…。
(ちなみに、監督にはこの映画のプロデューサーでもある美しい奥様がいらっしゃいます)
この監督の映画を観ていると、自分の中に描きたいものがあって、それをていねいに形にしたような自然な流れを感じるのだが、今回の作品はどのようにして生まれたのだろう。
「映画をつくるときは最初、ある感覚だとかあるエモーションが生まれるのです。それをしばらく抱きかかえていると頭にシーンが浮かびます。そのシーンをいくつもいくつも溜め込んでいくと、シーンとシーンをつなげる形式、フォームが浮かんでくるのです。そこでシナリオを書き始めます。それから映画を撮り始めるのですが、映画を撮っている間は、そのことよりもほかのことを考えています。
この映画のアイディアがどのように生まれたかというと…前作の『3人兄弟』(東京国際映画祭でも上映され高い評価を受けた)の取材を受けているときに自分の子供時代を話してくれというようなことを言われまして。カザフでは、母親は男の子にキスをしたり、撫でたりする習慣がないのですけれど、私が7歳のとき高熱を出したことがあって、その時に母が自分の腕に私の頭をのせて撫でてくれたのですね。錠剤なんかも飲まされたのですが、私は母が撫でてくれた心地よさが忘れられなくて、その錠剤を口から出して、こういう状態が1週間でも1ヶ月でも続けばいいなと思ったのです。翌日、熱は下がってしまって元気になったので、学校へ行けと言われて残念だったのですけれども。そんな話をしたら、「おお、まるで映画のようだ。それで映画が撮れるのじゃない?」と言われて、その時に、この映画に登場する少年のイメージが生まれ、そこから『ハンター』が始まったのです。
完成した映画『ハンター』の具体的なシーンは、そのときにはまだ生まれていませんけれども、この子供時代の思い出のシーンが、『ハンター』のすべてのシーンを呼び起こした…映画のもとになったと言えます」。
自らの記憶をていねいに辿るように質問の答えを探していく監督。そんな監督が手がける映画も、また、自らの記憶の中から生まれていくらしい。
「一般的に、多くの人は17〜20歳くらいの間に外界からあらゆるインフォメーションを受け取るのだと思うのですね。そして、それを吸収し、受け取ったものを反芻していくというか、仕上げていくというか…見直して、再構築していくという作業が自分の中で行われるのだと思うのです。
でも私の中では、(都会に出てくる前に山村に暮らしていた)12歳までに受け取ったインフォメーションがすべてであって、そこからほとんどの作品が生まれています。1本だけそうではない、街で作った作品があるのですが、これは結局うまくいきませんでした。時々、目を閉じて、1本1本の通りや1軒1軒の家を思い出すのです、ディテールをね。そういう訓練をして、その頃(12歳まで)に得たものを再確認するのです。ですから、その時までに得たものが濃厚に反映されていますね」。
瑞々しく今も監督の中で生き続ける記憶。そのお話からは、目の前のこと、日々出会うことへ向かい合う、心の動きを丸ごと委ねたゆったりとした時間の流れが感じられる。人間が心地いいと感じるリズムで、ていねいに日々を暮らしている人だなあと思う。
監督のお話はまだまだ続いていく。映画の題材にもなった「ハンター」のこと、幼い頃からの映画とのつきあいについて、そしてカザフスタンのことについて…次週、またお伝えしたいと思います。お楽しみに!
セリック・アプリモフ監督や監督の映画『ハンター』についても掲載されている
NHKアジア・フィルム・フェスティバルのホームページは、
http://www.nhk.or.jp/sun_asia/