

1951年広島生まれ。81年「さようなら、ギャングたち」が群像新人長篇小説賞優秀作 に。 88年『優雅で感傷的な日本野球』(河出書房新社)で第一回三島由紀夫賞を、 2002年『日本文学盛衰史』(講談社)で伊藤整文学賞を受賞。
2008-06-21 号
高橋 源一郎(作家)
秋葉原で無差別殺人事件を起こした加藤智大の残した言葉、携帯サイトの書き込みへの返事の言葉を、大学の学生たちに考えてもらった。
その多くは「勝ち組、負け組にわける必要なんかない。そう思ってしまうのは、あなたの心が弱っているからだ」とか「男は顔だけじゃない。信念を持って頑張ることでできる内面に魅かれる女性だってたくさんいる」といった、「正しい」言葉や論理で説得しようというものだった。
そんな言葉を考えた学生たちに、「この言葉で、彼を説得して、秋葉原に向かうことを止めさせることができたと思うかい?」と訊ねた。すると、学生たちは、自信なさそうに、「ダメかもしれない」と答えた。
それから、「わたしが友達になってあげる。あなたの話を聞いてあげる」という女の子もいた。だから、ぼくは、「彼が、実際に会ってほしいと言ったら? それから、じゃあ、おれと付き合ってと言われたら?」と言うと、彼女も、「それ以上は難しいです」と答えた。
「おれもオタクで、おれも友達がいないけど、ネットがあれば十分。おれたちだけで盛り上がろうぜ」と書き込みます、という男の子がいた。
「それだけ?」
「ひとりだけじゃなく、そういう書き込み、というかレスが十五人分ぐらいあったら、寂しくなくなると思います」
「ずっと?」
「そうですね」
「確かに、しばらくは寂しくないかもしれないけど、会おうって言われたら?」
「……考えます」
もちろん、正解はわからない。たぶん、ないのだろう。事件はもう起こってしまって、彼はもう戻ってはこないのである。
彼を現実の世界に押し止める言葉は、ネットの上にはなかったのかもしれない。彼が携帯のサイトに書き込みを始める前にこそ、そんな言葉が必要だったのだ。
自分を認めてくれる言葉、自分だけに向けられていると思える温かい言葉、表面上は自分に向かってではないのになぜか自分に向けられているように思える言葉、そういうものだけが、遠くの世界へ行ってしまおうと思う者たちを止めることができる。
そんな言葉は、個人的な関係の中にしかないのだろうか。たとえば、文学の言葉もまた、ほんとうは、そんな力を持っているはずなのだ。だが、彼のところに届いた言葉はなかったのである。