1951年広島生まれ。81年「さようなら、ギャングたち」が群像新人長篇小説賞優秀作 に。 88年『優雅で感傷的な日本野球』(河出書房新社)で第一回三島由紀夫賞を、 2002年『日本文学盛衰史』(講談社)で伊藤整文学賞を受賞。
2006-07-29 号
高橋 源一郎(作家)
長男が二歳の誕生日を迎えた。一歳九ヵ月ぐらいからが、いわゆる「言語爆発期」と呼ばれる時期なのだが、確かに、そのあたりから、急速にことばをおぼえはじめた。
それにしても、人間はどうやってことばをおぼえるのか、不思議じゃありませんか?
なんにもなしの白紙からことばをおぼえ、十年かそこらで(ほぼ)自由に使いこなせるようになる。なにが不思議といって、これほど不思議なことはない。人間がことばをおぼえる不思議に比べたら、霊魂があるとかないとか、奇蹟が起こったとか、UFOだの超常現象だのといったって、ぜんぜんたいしたことなんかないとぼくは思っている。それを「当たり前じゃないか」のひとことで片づけてしまうようでは、いけません。
昔、中国のある王様が、やはり、「なぜ、人間はことばをしゃべれるようになるのか」という疑問を持った(まったく同感)。そこで、王様は、実地に調べてみようと思った(学者的マインドを持った王様だ)。王様は、どういう具合に調べたか。まず、国中から、生まれたばかりの赤ん坊を集めさせた(昔の中国だから、一般の人たちの人権なんかありません)。もちろん、育てるのは専属の乳母たちが。王様は、乳母たちに命令した。「体を拭いたり、着物を着せたりするのはかまわん。食事の世話も、排泄物の世話もよろしい。しかし、如何なる時も、一切、ことばを発してはならん!
ことばを発したら、死刑!」
なるほど。ことばを一切使わずに人間を育てた時、その人間は、どんなことばを使うようになるのか。なんのことばも使わないのか。それとも、どんな教育とも関係なく、天然自然に備わったことばをしゃべるようになるのか。興味津々の王様の命令の下、世紀の大実験は開始された。
さて、その結果がどうなったか、知りたくありませんか?
赤ん坊たちは、なにもしゃべらなかったのか。それとも、動物のような吠え声をあげたのか。それとも、誰も聞いたことのない不思議語をしゃべるようになったのか。
実は、赤ん坊たちは、全員、死んでしまったのです(かわいそうに)。だから、どんなことばをしゃべれるようになったのか、ついにわからずじまい。
一説によれば、赤ん坊たちが死んでしまったのは、乳母たちが一切、抱こうとしなかったからともいわれている(直接、肌へ接触することを禁じたらしい)。しかし、ぼくは、ことばをかけられなかったことが最大の原因ではないかと思っている。いや、赤ん坊にとって、抱きしめられたことと、ことばをかけられることは、同じなのだ。どちらがなくても、人間の赤ん坊は、生きていられない。孤独死してしまう。ことばは、ただの記号で、おぼえて使える便利なものなんかじゃない。抱きしめられることと同じ効き目のあるもの、生きていることを確認し、生きる力を与えてくれるエネルギーの源だったわけです。
結局、その王様の疑問は、後に、ノーム・チョムスキーが「生成文法」と概念を発見し、解決されることになった。チョムスキーによれば、世界中のあらゆる言語には、共通の「文法」が存在している。そして、あらゆる人間には、その「文法」を使う、生まれつきの能力が備わっているのである、と。
二歳になる長男も、生まれつき備えもった「文法」力を駆使して、ことばを巧みに操るようになった。最初は、単語を一つ、一つ。「パパ」とか「パンパン(パンのことです)」とか「デンデン(電車のことです)」とか「来て」とか「ダッコ」とか。それが、そのうち、単語を重ねて使うようになる。「パパ、ダッコ」。「パパ、来て」。それはもちろん、こちらが教え、それを真似するからなのだが、その言い方が自然に定着するのは、にんげんの脳に、そもそも「文法」力が存在しているからなのだ。
なに、国文法がおぼえられない?
それは、別問題です!