1951年広島生まれ。81年「さようなら、ギャングたち」が群像新人長篇小説賞優秀作 に。 88年『優雅で感傷的な日本野球』(河出書房新社)で第一回三島由紀夫賞を、 2002年『日本文学盛衰史』(講談社)で伊藤整文学賞を受賞。
2005-06-18 号
高橋 源一郎(作家)
ある競馬雑誌で、競馬エッセイのコンテストがあり、その選考をやらせていただいた。そして、いくつもの候補作を読んでいて、競馬というと、競馬場へ行って馬券を買う、ただそれだけのように見えて(いや、ほとんどの場合、「ただそれだけ」なんだが)、実はきわめて深いところで世の中に役に立っていたりするのだと感心したのだった。
とはいっても、別に競馬ファンの売上げが税金となって、国に吸い上げられ、様々な用途に使われている、ということを言っているわけじゃない。ぜんぜん別なんです。
ある老競馬ファンが、会社を定年退職した後、「世の中の役に立つことをしたい」と言いだしたのである。とはいっても、なにをやったらいいかわからない。「おれの特技といっても、競馬しかないわけだから、競馬でなにか役に立つことができないだろうか」と呟くと、奥さんは「そんなのあるわけないじゃない!」と言うのである。そりゃそうだ。
ところが。あったんですね、競馬で「世の中の役に立つこと」が。
その老競馬ファンは、市のボランティアに応募する。「特技は競馬」と書いて。待つことしばし、市から、その老競馬ファンのところに、「ぜひお願いしたい」という報せが届いたのである。老競馬ファンもその奥さんもびっくりだ。そのボランティアの中身はというと、「障害で目が見えなくなった方がおられます。実は、その方もたいへんな競馬ファンだったのですが、目が見えなくなってからは、競馬中継もラジオで聴くだけの日々。それはいいとして、なにより困るのが、競馬新聞が読めないこと。ここは一つ、その方の家まで行っていただき、そこで競馬新聞を朗読していただけないでしょうか」というものだった。「これぞ天職だ!」とその老競馬ファンは呟いた。ただ新聞を読み上げるだけなら、誰でもできる。しかし、特殊な記号が満載された競馬新聞を読むには、競馬ファンでなければ無理なのである。それから、その老競馬ファンは、毎週、土曜日になると、翌日曜のレースの内容が詰まった競馬新聞を持って、その障害を持った方のお宅を訪問し、その方の目の前で、彼が知りたいレースについて、詳しい情報を新聞から読みあげるようになった。よかった、よかった。というか、この話には後日談があって、その目が見えなくなった方の記憶力はすさまじく、老競馬ファンが読み上げる馬の情報は、実はとんど頭に入っていたそうなのである(だから、新聞を読んでもらうといっても確認するだけだったのだそうだ)。さらにさらに、その方の馬券的中力もすさまじく、目の前でその破壊力を見せつけられた老競馬ファンは、その方の予想を参考にして馬券を買うようになってから、よく当たるようになったとか。善意は人の為ならず、というべきだろうか。
マンガやゲームばかりやっていても、アニメのヒロインに萌えるのが趣味の人も、いつかは、それで人助けができるかもしれませんよね。