

1951年広島生まれ。81年「さようなら、ギャングたち」が群像新人長篇小説賞優秀作 に。 88年『優雅で感傷的な日本野球』(河出書房新社)で第一回三島由紀夫賞を、 2002年『日本文学盛衰史』(講談社)で伊藤整文学賞を受賞。
2004-12-04 号
高橋 源一郎(作家)
いま出版界で最大の話題といえば、もちろん、『電車男』だ。
みんなも知っているとは思うけれど、インターネット最大の匿名掲示板「2ちゃんねる」に載った、「ちょっといい話」が、出版され、ついに大ベストセラーになった。もしかしたら、これからの出版の形を変えるかもしれない大きなニュースで、ぼくのような作家も無関心ではいられない。だから、ぼくも、出版されてすぐに読んだし、ついこの間は、書評も書いた。だが、なかなか自分でも納得できない。この『電車男』に関する問題、実に複雑なのである。
とりあえず簡単に説明すると、ある日、「2ちゃんねる」の中の「毒(独)身男」の掲示板に、一人の青年が、電車の中で酔っぱらいにからまれた若い女を助けた、と書き込む。それが、すべての始まりだった。やがて、助けた青年のとこにろ、その若い女から、お礼のティーカップ(これがエルメス製なので、彼女の名前は以降「エルメス」と呼ばれることになる)が届けられる。しかし、純粋「ヲタク」で、女の子と付き合ったことのない男(彼は「電車男」という愛称で呼ばれるようになっていた)は、掲示板のみんなに助けを求める。彼女に対してどう振る舞えばいいのかわからない、だいたい電話をかけたくてもその勇気さえない。そこから、掲示板の「仲間」たちの応援とアドヴァイスが始まるのである。
最初の書き込みから二ヵ月間。「仲間」たちは、「電車男」の途中経過の報告の書き込みに対し、ああいうことを話せ、こういう服を着ろ、こういう場所に誘えと、懇切丁寧に書き込みを返す。まるで、それが自分のことであるかのように。かくして、二ヵ月後、「電車男」は最終決戦の日を迎える。彼の「告白」を、「エルメス」は聞いてくれるのか。はたまた、玉砕してしまうのか。出かけた「電車男」の帰りを、「2ちゃんねる」の掲示板仲間たちは、待ち続ける(って、結局、何人かは、朝まで待っているのだ。いったい、みんな、ふだんどんな生活をしているんだ?)。明け方、帰ってくる「電車男」。
成果を聞きたいか、聞きたい!、でもちょっと休んでから(って、このあたり、余裕をみせるところがちょっと変)。というわけで、朝、「電車男」は重大発表を行うのである。みなさん、「エルメス」は、わたしも好きといってくれました!
その瞬間、掲示板には、嵐のように、祝電、祝画(ネット上にドットで描かれた独特のあの画ですね)が殺到する。おめでとう、「電車男」。そして、彼らは、喜びのあまり感動の涙を流すのだった{`{`。
そういうわけで、これは、一般にいわれている「純愛小説」であるより、「友情小説」と呼ぶべきかもしれない。自分にはできないことをやろうとしている「電車男」へのアドヴァイスを掲示板に書き込む男たち(女もいるけど)の熱い思いこそが、この本の主役だったのだ。
ここで終われば、問題はなにもないのだが、実は終わりではない。この『電車男』には、重大な「ネタ」疑惑(要するに、「ヤラセ」疑惑)がもちあがっている。
その辺を詳しく知りたい人は、「電車男の時刻表」というサイトを参照してください。そこでは、時系列に従って、「電車男」と掲示板の住人たちが、どんな書き込みをしたのか、それから、どこがウソくさいのかを、細かく検証している。
ぼく個人の感想をいうなら、このお話は、やはり胡散臭い。しかし、どこまでがウソで、どこがほんとうなのか、それともなにもかもウソなのか、いやいや実は全部ほんとうにあった話なのか。そのいずれであるのか、はっきり断言することはできない。そもそも、断言できないのが、ネットの上のお話なのだから。
けれども、「電車男」に肩入れし、感動して泣いた住人たちの「気持ち」はほんとうだったと思う。ならば、若者たち(だと思う、たぶん)の「気持ち」は、昔から、あまり変わっていないのかもしれない。なにかに熱中したい、なにか純粋なものを助けたいという、「気持ち」は。それ故にこそ、「ウソ」だとしたら許せない、という「気持ち」も強いようなのだけれとば。