

1951年広島生まれ。81年「さようなら、ギャングたち」が群像新人長篇小説賞優秀作 に。 88年『優雅で感傷的な日本野球』(河出書房新社)で第一回三島由紀夫賞を、 2002年『日本文学盛衰史』(講談社)で伊藤整文学賞を受賞。
2010-03-06 号
高橋 源一郎(作家)
もう先月のことになってしまうのだけれど、一流詩人の登竜門というか、詩壇の芥川賞とでもいうか、若い詩人ならみんな憧れる「中原中也賞」という賞を、文月悠光さんという札幌の女子高生が受賞した。十八歳か。ほんとに若いなあ。でも、もっとびっくりするのは、この詩集が十四歳から十七歳にかけて書かれたということだ。いや、それはびっくりすることじゃないかもしれない。十四歳で、時に、人は、叡知に似たものを一挙に掴んでしまうことがあるからだ。
詩集のタイトルは『適切な世界の適切ならざる私』。なんてうまい言い回しなんだろう。回りの世界は、なにごとも問題なく、というか、問題があってもそれを当然の如く含みつつ、粛々と進んでゆくのに、自分は、どうもその世界のありさまについていけない、ということを、このタイトルはいっているようだ。だとするなら、これは、文学とか詩とか芸術とか思想とか、とにかくそういうものに触れた人間が、誰でも持つ、普遍的な感想にちがいない。
「靴がない!
私は嬉々となって走り出して。
(先生、わたしの靴はどこですか)
ひそやかに唱える。
唱えたそばから
思わず笑みをこぼしてしまったので、
慌てて口を結ぶと
カラカラと赤いランドセルが鳴いた」
と始まる「うしなったつま先」は、「新米教師は生徒を疑わない。ただ、『朝はあったのでしょう?』とつぶやくように問いかける」と続くし、
「『干さないくせに回すなんて』
とぼやく母を尻目に、
私はまだぬくもりの残る制服たちを
水の中へ沈める。」
で始まる「洗濯日和」は、たんたんと洗濯される制服を描写して、
「ふたを持ち上げ、のぞきこむと
制服たちは互いに腕をからませ、寄り添っていた。
ようやく胸をなでおろす。
つられて涙も落ちる。
驚き慌てた私はつい、
『干しますったら……』
と今さら天井に向かって
声をふりしぼってみるのだった。」
と終わる。
女子高生の日常が、きわめて繊細な描かれたこれらの詩を読んでいると、ぼくは、綿矢りさが詩を書いていたら、こういうものじゃなかったろうか、と思ったりした。というか、「黄身を抱く」という詩なんか、川上未映子の『乳と卵』の現代詩版みたいなんだけどね。