

1951年広島生まれ。81年「さようなら、ギャングたち」が群像新人長篇小説賞優秀作 に。 88年『優雅で感傷的な日本野球』(河出書房新社)で第一回三島由紀夫賞を、 2002年『日本文学盛衰史』(講談社)で伊藤整文学賞を受賞。
2012-01-15 号
高橋 源一郎(作家)
少し遅れたけど、明けましておめでとう。たいへんな年が終わった。新しい年はどうなるのだろう。いいことがたくさんあるといいのに、と思う。そんなことを考えていたら、雑誌(「世界」2月号)で、とても面白い記事を見つけた。
「和歌山県のとある小学校。教室名を記したプレートには、『こうむてん』、『ファーム』、『劇団きのくに』、『おもしろ料理店』、『クラフト館』など、楽しげな名前が並ぶ。それ以外に教室は見あたらない。普通の学校のように、四年三組などという教室はないのだ。
中学校も同様だった。『動植物研究所』、『ミュージカルシアター』、『道具製作所』、『郷土資料館』などの看板の掛かった教室はあるが、学年や番号の書いてある教室は見あたらない。
そのひとつ、小学校の『こうむてん』を覗いてみると、看板に偽りなし。教室から続く子どもたち手作りのウッドデッキの上で、子どもたちはのこぎりや電動ねじ回しなどを巧みに使って、ウンドデッキに取り付ける手すりをつくっていた。この学級では年間に二軒ほど、建物を建てることを目標にしている」
こんな文章を読むと、「ああ、これは、最近よく聞く、不登校児を集めた『フリースクール』だな」と思う人も多いかもしれない。違う。確かに「自由」という意味で「フリースクール」だが、ちゃんと、文科省の認可を受けた、卒業認定証がもらえる私立学校なのである。
えっ? それなのに、教室がないの? その通り。そればかりではない。この学校では、「学年」がない。小学校なら1年から6年までが、同じ「教室」(ではないことも既に書いた)で勉強している。そればかりではない、ここには「先生」も「生徒」も存在しない。みんな、お互いを名前をあだ名を呼ぶ。区別があるのは、「大人」と「子ども」だけなのだ。
「こうむてん」では、建物を作り、「ファーム」では食べ物を作る。それが、「勉強」の中心だ。算数や国語といった、いわゆる「教科」は、小学校に関していうと、ふつうの小学校の3分の1ぐらいしか時間はない。そして、当然のごとく(?)、建物を作り、食べ物を作ることが目的だから、試験もない。
ここは、和歌山県の山の中にある、「きのくに子どもの村学園」。そんなお伽話のような学校があるのか? みなさんは、そう思われるだろう。ぼくも、そう思った。ここで教えるのは(いや、教わるのは)、他のすべての学校では教えてくれないもの。「自由」なのである。